先日、こんな話を聞いた。「バスに両手に荷物を抱えたおばあさんが乗ってきたが、自分が降りる停留所に近づいてきても降車を知らせるボタンを押すことができない。そのおばあさんは、どうしようか迷った挙句、自分で『ブー』とブザーの音を真似て降車を運転手に知らせた」。このおばあさんの思考は、このようなものだったに違いない。
「次で降りたいので運転手に知らせたい」→「ブザーを押さなければならない」→「両手が塞がっているのでブザーが押せないのでブザー音を真似よう」

 もし、このおばあさんが、運転手に知らせるという本来の目的を達成する方に主眼を置いていたら「次、降ります」と言えばそれでよかったのだ。しかし、二段目の目的が本来の目的にすり替わってしまうという「思考の飛躍」が起こってしまったのだろう。これは随分前からある笑い話だが、私はこの話を聞いて最近の新聞記事を想起していた。

●「任天堂 営業益2.5倍に 好調DS寄与」2007年4月27日夕刊
●「TV復調、ゲームは水面下 ソニー今期V時回復へ」2007年5月17日

 私が思ったのは、思い込みの三段論法とでも言うべきことがソニー・コンピュータエンタテインメント(以下、ソニー)にも起こっていたのではないかということだ。ソニーは高性能のコンピュータとメディアプレーヤとしての性格を持つプレイステーションシリーズで、前世代のゲーム機市場では他のゲーム機メーカーを凌駕してきた。その戦略は、圧倒的な性能を誇るハードウエアを開発し、ソフトとの相乗効果で開発費を回収し、その後は長期に渡り利益を上げていくというものだと思う。この戦略の強さは、高性能のチップが支える高性能なハードウエアが根底を支えるというところにある。つまり次の論理が機能していた訳だ。

「ゲーム機の売り上げを伸ばしたい」→「そのためには、性能で他を圧しなければならない」→「高性能のチップを開発する」

 売り上げを伸ばすために、高性能チップを開発する。この行動原理に基づき、ソニーは膨大な投資を行い高性能プロセッサ「セル」を開発した。当然の結果として、セルが実現する高性能なゲーム機向けに人気ゲームタイトルが集まり、他のゲーム機を圧倒するという今までのソニーのゲーム機が実現してきた筋書きの正しさを確信していたのだと思う。

 しかし、結果は違った。ソニーが開発と量産に手間取っている間に、他のゲーム機メーカーが新型を発表してしまった。マイクロソフトはソニーと同じ土俵で戦おうとしたが、任天堂は異なる路線で攻めてきたのだ。まず投入したのが携帯用ゲーム機「ニンテンドーDS」。二画面とタッチペンという斬新なアイデアを引っ下げて登場し、人気ソフトとなった『脳を鍛える大人のDSトレーニング(脳トレ)』との相乗効果で着実に売り上げを伸ばした。そこに、任天堂は新発想の最新鋭ゲーム機「Wii」を送り込む。この機種の特徴は、コントローラにある。本体の性能を向上させるのではなく、今までのゲーム機にないユーザーインターフェースを用意することでゲーム機を進化させたのだ。PS3より早く発売できたこともあり、新型コントローラを備えたWiiは売れた。

 どうしてこれら二社にこのような明らかな戦略の差が生まれたのだろうか。戦略の違いを生んだ要因を推測していくうちに思い当たったのが、「成功体験の罠」というものである。製品には成長期があり、その後に必ず衰退期が訪れるものだ。成長期は、戦略がそのときの市場に適合した結果もたらされる。企業はこの間にそれまでの投資を回収し利益を確保する。そして、衰退期が訪れる前に、市場の変化を先取りして次の戦略を立案し、これに再投資する。これが理想的な姿だろう。

 ところが、成長期の成功体験というのは、やっかいなものだ。人間は、的中している戦略が、いつまでも的中し続けると思い込んでしまう。前述した三段論法の二段目である「(売り上げを伸ばすためには)性能を格段に上げゲーム機を進化させなければならない」という論理が、普遍的なものであるかのように思えてしまうのだ。

 人の行動は、全て脳という情報処理システムのアウトプットに支配されている。行動の差はこの脳というシステムが生み出すのである。脳に関する研究で著名な池谷裕二氏の主張によれば、人の脳には、確実なリターンが望める安全な選択をする際に活動する部位(眼窩前頭皮質)と、あえて今までと違う冒険的な選択を行う際に活動する部位(前頭極皮質)があり、両者の活動によって常に矛盾する行動を促しているのだという。そして、人がこのどちらに従うかという判断には、脳の特性と過去の成功体験が影響しているらしい。傾向として、経験を積むにつれ冒険を求める思考より安全を求める思考の影響力が増し、脳の特性が変化していく傾向があるというのだ。人は年を重ねるにつれ、新しい店ではなく行きつけの店ばかりを利用し、身近な人とだけ会話をするというのはこのためだ。こうして冒険を避けているうちに自分の目に触れる世界は限定されていき、気付かぬ間に浦島太郎のようになってしまうのである。

 このような脳の特性を持つ人間によって組織は作られるのだから、組織の行動も同じ原理に支配されているはず。そうであれば、成功体験を積めばそれだけ、組織からは冒険心が失われていくのかもしれない。そうして、思い込みの三段論法が永遠に通用するものだと思い込んでしまうのである。

 これを防ぐためには、三段論法を成立させている条件に変化がないかを常に検証しなければならない。そのことが、圧倒的な成功を収めているライバルに立ち向かう際には大きな武器となる。同じ戦略で戦うのではなく、三段論法の最初に立ち返り前提を崩すのである。

 戦国時代に武田家と織田家が激突した長篠の戦いがこれを物語っていると思う。当時の武田家は織田家に対抗できるほどの兵力を有しており、勇猛果敢な騎馬軍団は圧倒的な強さを誇っていた。これに比べ、尾張兵は弱い。騎馬戦のノウハウもない。まともに戦っては勝ち目がないのは明らかである。しかし尾張は豊かな土地で経済力はあった。この優位を生かす方法として、鉄砲などの最新兵器を積極的に導入することを実践してきたのである。新兵器に運用法の定石はないから、自ら考え出さなければならない。つまり、兵器を常に更新し続けるということは、常に新戦術を考案し続けるということだ。こうして戦い続けてきたのが織田家だった。

 両者の戦いがどのような結末になったかは、ご存知の通りである。武田方は相手の出方はおかまいなしに、自慢の騎馬隊を繰り出した。対する織田方は、騎馬には騎馬で対抗するのではなく、鉄砲の三段打ちという新戦法をもって武田方をさんざんに打ち砕いたのである。常に新しいものを取り入れていくことを宿命付けられていた織田信長という人間が、この勝利を演出したといえるだろう。

 この歴史的事件に思いを馳せるとき、ソニーが武田の騎馬軍団に重なって見えてくる。それ以前、武田家は強兵をもって見事に領土を拡大させた。彼らにはありあまる成功体験があったのである。同じように、ソニーも成功者であった。そして、両者は過去の成功体験に足をすくわれた。どうしてもそう思えてしまうのだ。

 一方の任天堂も、かつての成功者である。だが、ソニーの「性能競争」という挑発に乗り、苦戦を強いられた。当然、戦法の見直しを迫られる。よく考えてみれば、騎馬隊と戦かわなければならないといって、必ずしもこちらが不得手な騎馬戦で応じる必要はないのである。この結果生まれたのが、次の三段論法ではなかったか。

「ゲーム機の売り上げを伸ばしたい」→「楽しさの提案力で他を圧しなければならない」→「新しいインターフェイスを提案する」

 こうした新しい思考で、とりあえず任天堂は、対ソニーの戦いを有利に進められるようになった。だが、この成功は必ず思考を保守的にさせる。ついつい、「インターフェイスのさらなる進化」といった、保守的な思考に陥ってしまう。成功が人の視野を狭めさせ、そもそもの目的が何であったかを忘れさせてしまうのである。

 これは筆者が会社員時代に経験した実話である。隣の部屋にいる上司から「メールは見たか?」と電話がかかってきて、急いでメールを見ると「電話くれ」と書いてあった。気を緩めてはならない。別に成功の美酒に酔っていなくても、どうも人間というのは本来の目的を忘れがちな動物であるようだから。

著者紹介

生島大嗣(いくしま かずし) アイキットソリューションズ代表
大手電機メーカーで映像機器などの研究開発、情報システムに関する企画や開発に取り組み、様々な経験を積んだ後、独立。既存企業、ベンチャーのビジネスモデルと技術の評価、技術戦略と経営に関するコンサルティング、講演などに携わる。現在は、イノベーション戦略プロデューサーとして活動している。生島ブログ「日々雑感」も連載中。執筆しているコラムのバックナンバーはこちら

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。