「中村君(松下電器産業の中村邦夫会長)は幸之助流経営の破壊者だ、とマスコミは説く。でも、まったく違う。幸之助のDNAを最も濃く受け継いでいるのが彼だ」

 先日、松下電器産業の元副社長、水野博之氏にお会いしたとき、こんな話を伺った。水野氏はそろそろ喜寿というお歳のはずであるが、高知工科大学など複数の大学で教鞭をとり、コナミなど複数の会社で取締役を務めるなど、超人的な活躍をされておられる。松下電器産業にあって、松下幸之助氏から直接の薫陶を受けた最後の世代という、今となってはとても貴重な方でもある。

 松下幸之助のDNAを継ぐものは中村氏と言い切るそのココロは、と問うと、水野氏は「デジタル家電に特化すべく大きく舵を切ったこと」をまず挙げられた。「幸之助さんがこだわっておられたのはホーム・アプライアンス」、つまり家電なのだという。

 幸之助氏が「コンピュータはやらない」と公言していた時代があった。正確にいうと、コンピュータだからやらないのではなく、いわゆる「B2B」のものだからやらない。もし、家庭にコンピュータが入り込んできたら、猛然とやる。それが幸之助流、松下流だったが、知らず知らずのうちに、その「家電へのこだわり」が薄れてきた。そのこだわりを復活させたのが、中村会長だったというわけだ。

 「猛然とやる」というところも重要である。「戦争は、数が多い方が勝つに決まっとる」と水野氏は言う。ウチの社員だけが優秀などということはあり得ないから、結局は人数の勝負になる。だから、競合他社が200人の開発体制を布いてやっていたら、松下は500人でやる。それだけの投資もする。必要だと思ったら、そのプロジェクトを一瞬で立ち上げる。それが幸之助さんのやり方なのだと。なにやら韓国にある、あの巨大企業に似てなくもない。

 「日経ビズテック」という雑誌の編集長をしていたとき、「後手必勝の戦略」を考えてみようという珍奇な特集の企画を思いつき、水野氏に論文執筆をお願いしたことがある。この「後手必勝」というのは、武道では「後の先」といい、専門家に言わせると「決して素人には真似ができない達人の必殺技」なのだそうだ。その話を事前にさせていただいたわけではないのだが、水野氏の論旨は、まさしくその通りであった。

 かつて松下電器産業が「マネシタ」と呼ばれていたことは有名だが、水野氏はそれを否定しない。しないどころか、これぞ高度な経営術であり、これを選択し、見事に成功させた幸之助さんは本当に偉かった、と振り返る。若い頃の幸之助氏は、卓越した発明家だった。個人的にも新しいものを創造することが好きで、その能力も十分すぎるほどあったということだろう。ところが、米国を訪れて自分の目で確かめて、考えを一変させる。自分の趣味志向を捨て、勝つための戦略、つまり「学びに徹する」ことに決めたのだ。

 翻って今の日本は、と水野氏は論文の中で嘆く。あるものは、「すでに欧米に学ぶ時代ではない、これからはイノベーションである」としたり顔に説く。だが、本当のイノベーションを成し遂げた話など、ついぞ聞かない。かといって、キャッチアップに徹することも、もはやできなくなっている。どちらも中途半端な、実につまらない企業が多すぎはしないか、と。

 ところで、お目にかかったとき、水野氏はこんな話もされた。「Googleとか、何でもアメリカばかりを見て、そのマネをすることしか考えん。官僚がそんなことだから、どうしようもない」。同じような指摘を、1990年代前半ころ、やはり水野氏から聞いた記憶がある。確かそのとき、こう言っていた。

 「マイクロソフトの利益がスゴいっちゅうわけで、霞ヶ関では日本もOSをやる、ソフトをやると言って大騒ぎですわ。鵜(う)の真似をする烏(からす)は溺れるちゅう諺を知らんのですかなぁ」

 ここでちょっと、分からなくなってきた。「マネシタ」は高度な経営戦略であり、それに徹した幸之助氏はまさに経営の達人であったという。一方で、霞ヶ関に蔓延するキャッチアップの風潮はいかがなものか、ともいう。考え抜いたキャッチアップは是で、安易なキャッチアップは否ということか。それとも、キャッチアップも徹すれば是だが、どうせ徹することができないなら最初からするな、ということか。はたまた、あの時代はキャッチアップでもよかったが今はダメ、ということか。まさか官僚はあまり好きではない、ということではないだろうが。

 今度お会いする際に、ぜひ真意をお聞きしてみたいと思う。

本稿は、技術経営メールにも掲載しています。技術経営メールは、イノベーションのための技術経営戦略誌『日経ビズテック』プロジェクトの一環で配信されています。