「生きるか死ぬか」

 するとこの方は,少し考えてからこう答えてくれた。「結局は『生きるか死ぬか』という瀬戸際に追い込まれているかどうかの違いではないでしょうか」。というのも,この装置メーカーが海外に進出するようになったのは,ビジネス環境が変わって国内市場だけを相手にしていたのでは倒産の危機に陥ったからだという。そのため,がむしゃらに海外の顧客に売り込みをかけたのだと語ってくれた。

 そういえば,日経ビジネス誌の最新号(2007年2月5日号)に,携帯電話機において世界でトップシェアを持つNokia社 社長兼CEOのオリペッカ・カラスブオ氏へのインタビュー記事が掲載されているが,その中でこの方と同じことを言っている部分に出くわした。「日本の携帯電話機メーカーについてどうみていますか」との質問に対し,カラスブオ氏は,日本メーカーそのものについてコメントするのは難しいのでNokia自身の話をすることによってその回答としたいとして次のように語っている(同誌pp.68-70)。

 ノキアは小さな国の企業です。フィンランドの人口はわずか500万人ですから,国内だけで成長を続けることは不可能です。国内市場がとても限られているために,海外の市場に積極的に参入しようと挑戦してきたのです。このことはノキアが移動体通信のリーダーになるのに大きな意味があったと確信しています。つまり,大きな国内市場が存在していなかったのが幸いしたということですね。

 カラスブオ氏はつまり,ある程度の国内市場を持っていたことが,日本メーカーが世界市場で強さを発揮できない理由だとみているようである。韓国メーカーが世界市場に真剣に打って出た動機も,国内市場が小さいということが言えそうである。一方,日本市場はフィンランドや韓国に比べれば大きいと言っても,前述したように今後大きな成長は望めない。そろそろ危機感が出てきてもいい時期かもしれない。

「夜」のつきあい

 では,世界市場で存在感を示している企業は,どのようにして市場に参入し成功に至ったのだろうか。先ほどの装置メーカーの方に聞いてみた。するとこの方はまたしばらく考えて,一つの見方ですがと断ったうえで,「いかに『夜』のつきあいができるかどうかにかかっているのはないでしょうか」と言う。

 「夜」と言っても歓楽街で接待することだけを意味しているわけではない。例えば中国圏では,ビジネスの突っ込んだ話は昼間のオフィスではなく,夜に親しい経営者や投資家達が集まって食事をしながら話し最終決着することが多いのだと言う。現地の言葉を方言の類まで流暢に操り,その国の流儀に精通し,かつ「コネ」を持っていなければ,そうした「夜」の場には入ることさえできないのだそうだ。

 世界市場で成功している企業は,そうした「夜」の場に入り込んでビジネスを取ってくる。そのポイントは,その国のビジネスマンとその企業の本籍がある国のビジネスマンをつなぐ橋渡しの役としての人材を育成することである。そのために欧米企業が力を入れているのが,参入したい国の留学生を卒業後に採用して,現地法人のマーケティング担当者に据えることである。こうして,英語が話せて(米国系企業の場合),当然母国語が流暢な社員を「夜」の場にどんどん送り込む。

 社員に世界各国の「文化」を学ばせることによって「夜」の場に入り込めるような人材を育成しているのが,例えば韓国のSamsung Electronics社である。世界のどの国でも,好きな国に何年間かただ住んでその国の文化を学ぶという制度があるのは有名な話である。その間,仕事はまったくせず,簡単なレポート1枚を書くだけだということだ。筆者が知っているSamsungの社員(韓国在住)の方も「以前に池袋に住んでいたんです」という。筆者が韓国に行ったときなど,流暢な日本語で「池袋でおいしい焼き鳥屋を知っているんですが,今度行きませんか」などと誘われたりする。

 営業マンばかりではなく,技術者でも各国の事情に精通することは大切なことである。その国の人間と同じものを食べ,同じ目線でモノを考える経験を積むことで,その国の人間に受け入れられる機能と価格の商品を開発できる。

世界で勝つための人材戦略とは

 それに対して,日本企業の人材戦略は「世界で勝ち残るための戦略になっているのか疑わしい」とその装置メーカーの方は手厳しい。日本人でもアジア諸国の大学に学んでいる学生はいるが,それらの卒業生を積極的に採用する努力をしているのかどうか怪しいとみる。さらには,せっかく育った人材さえ無駄にしていることがある。例えば,日本企業でも何年も現地に駐在して,その国の言葉も流暢に話せ,ある程度は「夜」の場にも出入りできるようになる社員が育つことがあるが,あまり意味のない人事異動でその国とは全く関係のない国内営業をやっているケースもよくあるという。「まったくもったいない話です」と呆れ顔だった。

 さて,その装置メーカーは海外売り上げ比率がほとんどを占めるほど世界でビジネスを成功させているのだから「よっぽど『夜』の場にも出没しているのでしょうね」と水を向けると,この方は「いやいや,当社程度の規模の会社ではそれは難しいです。なんせ,私自身がカバン一つ抱えて世界中を回って売りにいくくらいですから」と言う。

 「では,なぜ」と筆者が聞く前に,その方は笑いながらこう言った。「昼の場であっても,現地語が話せなくても,下手な英語でとにかく必死に当社の技術を説明しただけです」。それを聞きながら,優れた技術と「海外で生きるしかない」という開き直りからくる情熱があれば,「文化」の壁を破る力はあるのかもしれないとも思った。