のっけから宣伝じみて恐縮だが,日経エレクトロニクス誌と日経ビジネス誌は共同で,2006年9月7~8日に「2006東京国際デジタル会議」を開催する。毎年恒例の同会議の今年のキーワードは「デジタル大融合」である。ビジネスやらインフラやら技術やら色々なものが融合していくという意味である。筆者は,2日目の「ものづくり大国の勝ち残り戦略」トラックの中でノキア・ジャパンの加茂野高氏による基調講演のモデレータをやることになった(Tech-On!の関連記事)。加茂野氏の講演の後,筆者が代表して質問させていただく,という趣向だ。

 講演のテーマは「ケータイ市場を制した多品種大量生産の極意」である。モデレータの役目としては加茂野氏から「多品種大量」の「極意」を引き出さなければならない。さてどうやって引き出そうかと考え始めてハタと困ってしまった。そもそも「多品種大量」とは何だろうか。筆者はこの言葉の概念についてしっかり理解していなかったのである。

 「多品種少量」や「少品種大量」という言葉はよく知られているが,「多品種大量」となると,ありそうで,あまり聞かない。品種を多くすることと,大量生産することは常識的にはトレードオフの関係にあるために,実現そのものが難しいためだろうか。とにかく筆者が「多品種大量」という言葉を初めて知ったのは今年になってから,日経エレクトロニクス誌の2006年4月24日号に掲載された,「価格下落を糧に~世界を獲る『多品種大量』」という特集で,だった。

「その言葉をつくったのは私たちだ」

 そもそも「多品種大量」という言葉を最初に使ったのは誰なのだろうか。日経エレクトロニクス誌のY副編集長に聞くと,「それは私たち,特集チームでしょう」と胸を張る。なるほど,同誌による造語だったのだ。ということで,まずはこの特集を再読することにした。

 本特集の前文では,デジタル民生機器分野ではデジタル化に加えてソフトウエア化が到来してきており,これまで以上に価格下落が進む恐れがあり,日本メーカーが得意な「オンリーワン」製品の戦略だけでは不十分だと背景を説明した上で,以下のように書いている。

(前略)個々の製品よりも,高級版から廉価版,そして世界各地の市場特性に合わせた機種など,多様なラインアップを矢継ぎ早に打ち出せる開発体制・組織体制の方に,企業としての競争力の源泉が移り始めているのではないか。(中略)社内の設計資産の蓄積を進め,バリエーションに富んだ製品を世界各地の市場に絶え間なく打ち出す。そんな「マシンガン体制」を今から築いておかなければ,加速する一方のデジタル化ややがて来るソフトウエア化が巻き起こす価格下落の時代を生き抜くことすらできなくなる(日経エレクトロニクス誌4月24月号p.79)。

 「なるほどマシンガンのように多品種を大量に供給するわけか。うまいことを言う」と感心しながら筆者は,講演の打ち合わせをするために,ノキアの加茂野氏にお会いした。

 打ち合わせの内容そのものがどのようなものであったのかについては,当日の講演でのお楽しみ,ということにさせていただければと思うが,その中で筆者が「多品種大量」または「マシンガン体制」を理解する上で,なるほどと感心した部分があったので紹介しておきたい。

プラットフォームベースの開発体制に改革

 そのためにまず,ノキアが新開発体制を導入した経緯についておさらいしておきたい(詳細は日経エレクトロニクス誌4月24月号特集)。ノキアが開発体制の抜本的な改革に取り組んだのは1999年ころからだが,その背景には携帯電話のコモディティー化が進み,価格下落が急速に進み始めたことがあった。危機感を強めた同社は,開発を効率化し,コストを下げる活動を開始した。それまでの開発体制は,機種ごとに独立していたが,それを「プラットフォームベースの体制に変えようとした」(加茂野氏)のである。

 その「プラットフォームベースの体制」を分かりやすく言い換えれば,「同じものを使いまわす」ということのようだ。多様な機種をハイエンド,ミドルエンド,ローエンドなどにファミリー化し,各部品はできる限りモジュール化し,ソフトウエアについても設計資産の共有化を進める。それはノキア社内にとどまらない。業界レベルでの標準化が目標だ。その結果,共通化・標準化されたプラットフォームは,OSなどのソフトウエアはもとより,ディスプレイやカメラなどの基幹部品,コネクタなどの細かい部品まで実に多岐に渡る。

 このプラットフォーム化にノキアは2~3年かけたのであるが,実は同時期にもう一つある重要な号令が下っていた。それは「顧客に対して,できる限り同じ外観,同じ機能のものを売り込め」というものだった。

 同社の携帯電話機の市場シェアは2002年ころからいったん下がった。その理由の一つは,プラットフォーム化を推進するために技術者などのリソースを大量投入したためである。しかし,同社はもう一つシェア低下の理由があることに気付く。もう一つの号令を基に進められた,機能や外観まですべて同じ機種ばかり供給する姿勢が顧客に嫌われてしまったのである。携帯電話機の機能競争は,そのころカメラの搭載や高画素化が一段落したことで落ち着いていた。顧客は携帯電話機の選択のポイントを,機能中心からデザインや価格といった部分へとシフトさせていた。

どこをカスタマイズの焦点にすべきか

 こうした状況を分析した同社は方針変換に踏み切る。2002年の秋のことだった。これまでのプラットフォーム化一辺倒の戦略から,プラットフォーム化と同時に,デザインなどのカスタマイゼーションも進める戦略に変えたのである。カスタマイゼーションというと,どうしても高コストになるきらいがあるが「あくまでコストを上げず,開発効率も下げずに,顧客の要望に沿ったカスタマイゼーションを進めることを目指した」(加茂野氏)のである。

 そのために,あくまで基本となるモデルは50数種に抑えた。内部は共通化されており,プラットフォームによるコスト低減のうまみを徹底的に吸えるようにした。その一方で,外観だけを変えて差別化するにはどうしたらいいのか――。

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