先月の6月9日,日経ものづくりの主催で「品質つくりこみ最前線」というセミナーを開催した。基調講演は,東京大学特任研究員の佐々木久臣氏と明治大学理工学部長の向殿政男氏のお二方にお願いした。佐々木氏は,いすゞ自動車でいすゞポーランドの立ち上げなど海外業務を長く手掛けてきた方で,講演テーマは「完璧品質を確保するための取り組み」。安全技術の権威として知られる向殿氏のテーマは「製品設計で安全を確保するために」であった。
 お二方の講演を聴かせていただいて,筆者なりに二つの点に注目した。一つは,安全や品質をまず第一に考えて,その上で生産性や利益を追求するという「順序」を守ることの大切さである。もう一つは「性善説」をベースにした日本流のものづくりと「性悪説」をベースにした欧米流のものづくりには違いがあり,その違いを認識したうえで,各順序ごとに「いいとこ取り」することの重要性である。

「悪魔のささやき」に負けない姿勢

 佐々木氏がまず強調したのは,日本が21世紀に製造技術立国を目指す上で欠かせないのは「良いものをつくり続ける経営」の実践であることと,そのために重要なのが「品質第一」と「お客様第一」の考え方を貫くこと,という基本理念である。経営者はとかく「いつまでも品質ばかりじゃないだろう」とか「少しは利益のことを考えろ」とか「生産性向上はどうなっているのだ」といった「悪魔のささやき」に誘惑されるという。こういう誘惑に負けて基本理念の貫徹という姿勢が揺らぐようでは,製造技術立国などおぼつかないと佐々木氏は手厳しい。

 そのくだりを聴いていて筆者は少し驚いた。「品質」だけでなく「利益」や「生産性向上」を追求することは,経営者として当然の姿勢ではないかと思ったのである。しかし講演を傾聴するうちに佐々木氏が言わんとすることが分かってきた。佐々木氏は,利益や生産性の向上を目指すこと自体を否定しているわけではなく,それを重視するあまり基本理念が揺らぐことを警告しているのである。または「順序」にこだわっているとも言えるだろう。まず「品質」を考え,次に「生産性」と「利益」を目指す,という順番でものごとを考えるということを言いたいようだった。

 と同時に思ったのは,「悪魔のささやき」という言葉が出てくるほど,生産性を第一に考えることで品質低下を招く事例が多いということなのだろうか,と複雑な気持ちになった。あれこれ考えながら聴いていると,佐々木氏は話題を「品質のコスト」には二つの考え方がある,という話に進めた。

 品質のコストについての伝統的な考え方は,次のようなものである。すなわち,品質のコストは検査コスト,予防コスト,そして不良を出してしまったときの対応コストの三つに主に分けられる。縦軸に良品1個あたりのコスト,横軸に良品率(「1−外部不良率」で表される適合品質)をとって,このグラフ上に検査コストと予防コストをプロットすると,良品率が100%にごく近くなるといずれの値も無限大に向かって増えていく。つまり100%の良品を作るのは不可能だ,という考え方が根底にある。この理論に基づけば,不良対応コストは良品率が100%になるとゼロになるものの,検査・予防コストと対応コストを合わせた合計コストを見てみると,少し不良を出したあたりでコストが最も低くなる。

 前述の「悪魔のささやき」が絶えない背景には,この「不良を少し出した方がコスト面では有利」という考え方があると佐々木氏は言う。そしてこの考え方は,欧米流のものづくりの考え方であるという。

検査・予防コストを品質活動で抑え込む

 これに対して,日本流のものづくりの考え方とは,検査・予防コストは現場の品質活動を徹底させることによって,良品率が100%に近づいても抑え込めるというものである。その結果,良品率100%,つまり完璧品質を達成したときに合計の品質コストが最低になる。つまり,完璧品質の実現とコスト低減という,欧米流ものづくり論では二律背反であるものが,日本流ものづくりでは両立できるという主張である。

 その主張を体現すべく,佐々木氏らは完璧品質を追求する日本流ものづくりを欧州で実践した。ディーゼルエンジンを製造するいすゞポーランドの立ち上げに当たって,同社は完璧品質の必達を目標に掲げたのだ。

 これは当初から,途方もなく難しいことのように思えた。まず,日本からポーランドに対する初の大型投資であることから失敗が許されないというプレッシャーがかかっていた。地鎮祭から24カ月で生産を開始しなければならないという時間的な制約もあった。さらに独Opel社などの顧客への安定供給が強く求められ,欧州のアウトバーンで時速150kmで走っても問題が起こらないことなどの厳しい条件も課されていた。それでも,日本流の完璧品質を欧州の場でも実践しようと決めたのである。

 しかし日本流ものづくりを東欧で実践しようとしたのだから,当然のようにさまざまな問題が噴出する。それらを一つずつ解決し,結果としていすゞポーランドでも完璧品質を達成することに成功した佐々木氏は,その経験に照らして「日本から一歩出たら,全く違う考え方でやらないとうまく行かない」と結論付けた。つまり,日本流の完璧品質を達成するための道(方法論)は二つある。(1)日本国内におけるやり方と,(2)欧米(または日本以外)でのやり方である。

 (1)の日本におけるやり方は,こまごまと書く必要はないだろう。現場の作業員が自発的に改善活動に参加し,「性善説」的な考え方で管理でき,その現場の個々の事実から帰納法的に完璧品質が生み出される。そしてその結果を,安定株主や長い取引関係を持つ顧客に示せば納得が得られる。

 これに対して(2)の欧米でのやり方では,まず短期的な成果や数字を重視する株主や顧客に完璧品質の考え方をロジカルに説明する必要がある。つまり演繹的なアプローチである。いすゞポーランドの例では,ロジカルな進め方として「7Mアプローチ」という仕掛けを使って,ものづくりを展開していった。

 7Mとは,Man(労使関係),Machine(生産設備),Material(購買・物流),Method(品質管理・生産管理など),Management(組織・製造経営の管理項目など),Money(資金調達と内部統制),Market(顧客満足)といった「M」の頭文字のついた七つの項目を指している。佐々木氏は講演で,この7Mアプローチをいかにポーランドの地で実践していったかについて紹介した。例えば「Method」では,国際的に誰でも知っている三権分立を元に品質管理と生産の関係を説いたのが好評だったという。すなわち「完璧品質」を外部に保証する役目を負う品質管理・検査部門が「司法」で,自工程内で次の工程に対して保証する製造部門が「行政」,各工程で守るべき公差などを定めた作業基準書を策定する生産技術部門が「立法」というわけだ。

 また佐々木氏は,7Mアプローチをポーランドの地に定着させる上で,日本とは違った仕組みとして,日本が「性善説」の考え方で行けるのに対し,ポーランドでは「性悪説」をとった方がスムーズに進むことを発見したという。ここで言う「性悪説」とは「相手の善意にただ乗りすることはできない」という意味だと佐々木氏は説明する。なかなか日本人には分かりにくい考え方ではあるが,「相手の善意を前提にして(または甘えて)物事を進めてはいけない」ということのようである。

 いすゞポーランドの試みは,「完璧品質」という日本流のものづくりを,現地の事情に合わせて定着させたという意味で,日本流と欧米流を融合させて新たな価値を切り拓いたと言えるのではないかと思う。

安全の大前提=性悪説?