日本の製造業の競争力を考えるうえで重要なことの一つが,標準化活動を戦略的に進めることである。しかし日本は,国際標準づくりの場で自社や自国が有利になるように誘導する力に劣る,という指摘がある。

 例えば「TRON」で有名な東京大学教授の坂村健氏は『グローバルスタンダードと国家戦略』(NTT出版)という本の中で次のように書いている(同書p.86)。

(標準化活動は)最初のうちは,いろいろな技術的問題などが出されて,技術者同士のフランクな話し合いから始まる。しかし,その先は戦いだ。自社が有利になるように必死になってかかってくる。その点でも日本には勘違いしている人がいる。最後は民主主義的に投票で決めることになるのだが,それまでに出す意見は皆,自分が有利になるように言う。そして,バックチャンネルも当然あって,「オタクの仕様のこの部分を入れるから,ウチの仕様案に賛成票を入れてくれ」といったネゴシエーションも行われる。日本で問題なのは,そういう交渉を英語で各国代表と行えるタフネゴシエーターとテクノロジーのわかったエンジニアとの間に溝があるということだ。(中略)欧米からはその分野のエンジニアでありながら,タフネゴシエーターの素養もある人などが出てくるから,ギリギリの交換条件がその場ですばやく提示できる。「そこはよくわからないので,本国の開発陣に問い合わせて…」などとやっていては,バーゲニング・パワー(注:取引における交渉力)で負けてしまう。

 標準づくりの活動というと,業界全体や社会全体の利便性を考えた公的な活動と言うイメージが日本では強いようだが,それは最初の段階または表向きで,自社の利益を盛り込むしたたかな戦略が必要とされるということのようだ。

 もっとも日本の産業界や政府関係者もこうした問題を手をこまぬいて見ているだけではない。なんとか打開しようという機運は数年前から高まってきている。

 日本経団連産業技術委員会国際標準化戦略部会は2004年1月20日に発表した「戦略的な国際標準化の推進に関する提言」の中で,次のように述べている。

欧米各国は官民あげて自国の優位性の確立に向けて政策を展開している。(中略)一方,わが国においては,産業界自身の国際標準化へのかかわりが十分でなく,それとあわせて,政府の支援体制も必ずしも十分ではない。わが国としても,わが国の優れた技術を国際競争力の強化につなげるために,官民あげて情報を収集し,戦略的な国際標準化活動を展開していかなければならない。

 また経済産業省も標準化の意義と価値を明らかにする目的で,2003年に経済学者や標準活動に取り組む企業人などからなる「標準化経済性研究会」を立ち上げている。同研究会は研究成果を発表するシンポジウムを開いたり,報告書を発表している。筆者は2004年に開催されたシンポジウムに参加させていただいたことがあり,関係者の方からこの3月にまとまった「平成17年度標準化経済性研究会 報告書(案)」という資料を送っていただいた。A4判で83ページにわたる充実したものである。

 中でも圧巻はこの3月1日に開かれた「第2回 事業戦略と標準化シンポジウム−標準化の経済性−」(同シンポジウムの概要)におけるパネルディスカッションの議論の内容をそのまま載せている部分である。実は筆者は,この資料をこの日曜日,米国デトロイトに向かう飛行機の中で読んでいたのだが,機中なのに会場にいるような臨場感におそわれたほどである。

 報告書そのものはいずれ公表されると思うのでぜひお読みいただければと思うが,筆者が特に印象に残った部分を紹介したい。

何のための「国際標準化」か

 この報告書を読んでまず思ったのは,標準化は何のために進めるのか,もう一度原点に戻って考えたほうがいいのではないかということである。標準化活動の出発点は,標準化を進めないとコストアップになったり,顧客の利便性が高められないという問題点を解消することである。しかし筆者は以前から,そうした「大義」にのみ目を奪われることが優位性を失う落とし穴になるのではという気がしてならなかった。それを最も感じた事例が,東京大学の富田純一氏らが発表した半導体の300mmウエハーの標準化の報告であった。

 半導体産業ではコストダウンを進めるために,ウエハー口径を200mmから300mmに大きくした。しかしウエハーのハンドリングが難しくなったので搬送装置を自動化する必要がでてきて,結果として設備投資額が膨張するという問題に直面した---これが出発点である。この問題を解決するために決断したのが,工場の搬送システムを標準化し,投資額を抑えることである。標準化は,業界団体であるSEMIの主導で進んだ。

 標準化が進んだ結果,デバイス・メーカーは特定の装置メーカーから装置を購入する必要がなくなった。複数購買が可能になり,当初の思惑通り購買コストは下がった。こうした標準化によるコスト削減効果は,2万枚/月の量産ラインの規模で383億円に上るという。

 日本のデバイス・メーカーは,早くからこれに気づいて活動を続けていた。しかし,結果的には韓国勢に先を越されてしまう。標準化活動を進めていた現場レベルでは300mm工場への投資は必須であり,そのコストを抑えるための標準化活動だと認識していたのに,本社の投資判断が遅れてしまったという。

敵を利する標準化活動