先週(2006年3月17日),愛知県などの主催で新エネルギー関連のシンポジウム「燃料電池が創る水素エネルギー社会の展望」が名古屋で開かれた。基調講演には,東京農工大学教授である柏木孝夫氏が登壇,続くパネルディスカッションでは「水素エネルギー・燃料電池の新しい展開」というタイトルで議論が進んだ。パネリストはエネルギーや燃料電池開発の専門家の方々が中心だが,筆者も燃料電池を取材してきた記者の立場として参加させていただいた。「京都議定書」で混乱する日本のエネルギー戦略,燃料電池に代表される新技術の開発のあり方について,いろいろと考えさせられることが多いシンポジウムだった。帰りの新幹線の中で,シンポジウムの内容を反すうしながら日本の置かれている厳しい状況ばかりが頭に浮かんだ。本稿では,シンポジウムの内容を基にしながら,日本の技術開発のあり方を筆者なりに考えてみたい。

 エネルギー問題がつくづく難しいと思うのは,短期的な問題と長期的な問題を同時に考えなければならず,「環境負荷の低減」と「経済発展」といった数多くのトレードオフを解決しなければならないきわめて複雑な様相を呈しているからである。

 短期的な問題でまず深刻なのは,京都議定書が定めた温室効果ガス削減目標の達成である。そして長期的な問題としては,2020年~2050年に予想される「石油ピーク」(新発見油田の埋蔵量が産油量を下回った状態)を迎えたときの対応を第一に考えなければならないだろう。

 このうち京都議定書については,第一次約束期間(2008年~2012年)まであと2年という状況になり,どう対応するかそろそろ真剣に議論をしなければならなくなりそうだ。今まで真剣ではなかったというわけではないが,税負担の増大という形で国民にとって「身近な」問題になるからである。

「乾いた雑巾をさらに絞る」

 日本には,温室効果ガスの排出量を第一次約束期間中に1990年水準に対して6%削減することが義務付けられている。この数値目標が日本にとって不利な数字であることは京都議定書(1997年)の採択当時から指摘されていたことである。筆者も京都でCOP3(第3回締約国会議)を取材した経験があるが,特に産業界の方々が「日本は省エネ対策も進んでいるので,この数値目標では乾いた雑巾をさらに絞るようなものになる」と懸念していたのを思い出す。

 もちろん当時,地球環境問題への世論の盛り上がりは熱いものがあった。だがその一方で,各国の政治的な駆け引きが水面下で活発に行われていたのも事実である。そのとき,日本はイラク戦争で資金を拠出したにもかかわらず国際貢献が足りないと米国などから批判を浴びていた。なんとか「名誉」を挽回したいと考えていた一部勢力の政治的思惑もあり,議長国であった日本は,議定書の採択そのものを最優先して数値目標については妥協して採択に漕ぎ着けたのだった。その後,米国が批准せずに肩透かしを食った格好だが,議長国の日本は批准もして国際社会に約束してしまった以上,引くに引けない状況に追い詰められている。

 その苦境をもう少し詳しく見ていきたい。まず現状では,6%削減どころか二酸化炭素を中心とする温室効果ガスの排出量は漸増傾向にある。1990年レベルからどんどん乖離しつつあるのだ。このまま行くと,国内の省エネ対策だけでは数値を達成できず,余裕のあるロシアから排出権を購入しなければならなくなる。柏木氏によると,仮に1.6%分について排出権を買うとすると,現在の相場で600億~1000億円にもなる。ロシアと相対で交渉するとなるとさらに値段を釣り上げられ,1兆円程度まで膨らむ可能性も十分あるという。この莫大な資金は結局税金から支払うことになるので「環境税」やら「炭素税」などの新しい税制を導入するか,消費税率をアップしなければならない。国会ではかなり揉めそうだ。

 この資金拠出について国民の理解を得るのが難しいのは,第一にそもそも国ごとに決めた数値目標が不公平だからである。例えばロシアは1990年の値に対して±0%の数値目標だが,既に1997年の時点の排出量が経済停滞のためにこの目標値を大幅に下回っていた。つまり,余裕で数値目標を達成できるだけでなく,余剰分(ホットエアー)を排出権として売れることが最初から明白であった。第二に,京都議定書を批准した国の温室効果ガス排出量を合わせても世界全体の排出量の20%程度にしかならず,日本だけが頑張っても本来の目的である地球温暖化対策面ではあまり意味のないものになってしまっているからである。

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