回路図を読み込むことから

 どうやってCPUの設計者が育っていくか、例えば、わたしの場合を紹介します。

 富士通のCPUは、企業の基幹業務などに使われるコンピュータであるメインフレーム用のCPUで培ってきた技術をUNIX用に転用し、さらにUNIX用のCPUで培った技術を今度はスーパーコンピュータ用に転用していくという風に、開発した技術をお互いに流用することで発展してきました。メインフレーム用のCPUと、UNIX用のCPU、スーパーコンピュータ用のCPUを、すべて一つのチームで作っているのは、おそらく世界中でわれわれだけだと思います。

 わたしは大学時代、コンピュータと直接の関係はない学科でした。ただ、講義の一つにマイクロプロセサがあり、そこで興味を持ちました。そこで、当時コンピュータで最も進んでいた日本企業である富士通に入社しました。

 当時のコンピュータの主流はメインフレームで、これは規模の大きなコンピュータです。わたしにとってメインフレームは、積極的に取り組みたい分野ではありませんでした。規模が大きすぎるために、その一部の開発にしかかかわることができないと感じたからです。できれば、すべてにかかわることができる、小型のコンピュータを手がけたいという希望がありました。

 こうした希望を伝えたところ、オフィスコンピュータの開発を命じられました。これは、事務処理用のハードウエアと専用のソフトウエアを組み合わせた製品です。

 最初に取り組んだのは設計中のCPUの回路図をレビューすることでした。回路図の量は、当時で段ボール1箱弱ぐらいだったと思います。回路図を読んでも最初は何も理解できませんでしたが、理解できた部分から、黄色の蛍光ペンで塗りつぶしていきます。約3カ月かけてその回路図を理解すると、また次の回路図を渡されるのです。すると、回路図の違いやその裏にある考え方を認識できるようになります。この仕事に1年以上取り組みましたが、今振り返ると、設計者を育てるためには非常に優れた手法だったと思います。

 先輩が作った回路を勉強することで、どのように作るのか理解していくのです。間違っている部分があれば、それを指摘させます。毎晩のように、「わたしならば、このように作ります」などと意見を交えながら、上司に報告していました。

 そのうちに、部分的に設計を任されるようになってきます。自分が設計にかかわったCPUを最初に駆動させた時は、とても緊張しました。20歳代は、こうした開発にかかわって過ごしてきました。