4台ものリモコンを前に、「あーあ、馬鹿なことをしたなあ」と私は嘆いた。我が家のAV機器は、平面型CRTテレビがP社製、Blu-rayレコーダーがT社製、オーディオ機器がB社製であり、CS(通信衛星)放送にも加入している。それぞれ優れていると判断したものを導入していったら、こうなった。その結果、リモコンが4台になってしまった。使いたい機能により、この4台のリモコンを組み合わせて使わなければならない羽目に陥っている。機器同士は何とか接続したが、AVラックの裏側の配線はゴチャゴチャで、2度と触りたくない。良いもの同士をもっと簡単につなげて1台の標準リモコンで操作できないものかと考えてしまう。

 このためには、関連機器のオープン化・標準化が求められる。標準化されれば、その利便性は計り知れないものがあるだろう。一方で、それぞれの機器は各社独自の自信作だ。真似られてはならないから、多くの特許で固められたクローズなものであることは間違いない。こうして見ていくと、特許と標準はオープンとクローズという意味で真逆を向いているように見える。しかし、これは本当にそうなのだろうか。実は、特許と標準は兄弟である。アイデアを実体化する両輪と言っても良い。

身近な標準化の例

 特許と標準の関係を述べる前に、身近にある標準について考えてみよう。標準は、我々にとっては何か遠い存在だと思われがちだが、実はそうではない。標準は身近にある。そしてそれは創るものだ。例えば、エンジニアは特許や論文など各種書類を書くことが多い。アイデアや結果が出るたびにそれを記録していく。そのたびに、すべてを全く新しく(スクラッチから)書いていくだろうか。そうではないだろう。特許や論文では書くべき項目が決まっており、ある程度のフォーマットもある。特許では、大分類で3項目(名称、請求範囲、詳細な説明)がある。

 まず名称は簡単で、「半導体装置」とか「半導体メモリ」などと抽象的で良いから書くのに手間も時間もかからない。次に請求範囲は特許で最も大事なところであり、ここについては手間がかかっても毎回よく考えて書く必要がある。最後の詳細な説明は5項目(発明の背景、目的、概要、実施例、効果)から成っており、ここも手間がかかる。そこで標準化の出番となる。特に背景や目的などは、ある特許で1度書いておけば、他の関連特許でも当分の間は再利用できる。実施例なども、やや手間はかかるが、標準化できる。

 具体的な標準化の手法は以下の通りである。私の専門分野はDRAM(dynamic random access memory)であり、この分野の特許が多くなるのは明らかだった。詳細な説明を毎回書いているうちに、それらはいくつかのカテゴリーに分けられることが見えてきた。そこで、そのカテゴリーごとに標準的な雛形(ビルディング・ブロック)を前もって書いておけば、それを組み合わせて多少の修正を加えることで、再利用できるのではないかと考えた。いわば、特許の詳細な説明の標準化と言えるものである。特許部の協力を得て約1年がかりで標準的な雛形「D-RAMに関する発明の特許出願用標準図面及び説明文」を作り上げた。

 雛形の種類を考えることに随分時間を使ったが、結果的には13種類となり、これらによってシステムから製造プロセスまで幅広く網羅できた。まず「D-RAMシステム」。これはDRAMというシステムの動作を説明したもの。次に「回路構成」。メモリ・アレイや周辺回路のレイアウト・パターンを含む。さらに素子構造から製造プロセスまでで13種類である。総ページ数は、図面を含めて90ページとなった。発明に必要なものをこの雛形から引っ張り出してきて、当該発明に適合するように修正するという発想である。これは非常に役立った。特許を書く効率が格段に上がったのである。これは身近な標準の一例であり、こういう機会は考えればいくらでもある。

特許と標準に相通ずる原理―必然性

 さて、特許と標準の関係に戻ろう。

 まず特許とは、ご存知のように発明者に独占的権利を与えるクローズなものである。特許の権利は確かにそうなのであるが、特許の重要な要件を見てみると違う側面が見えてくる。強い特許の条件は、新規性、必然性、顕現性の三つである。「今までにない新規な着想になっている」(新規性)、「誰が考えてもそうならざるを得ない」(必然性)、「その特許を使っていることが容易に見付けられる」(顕現性)。この三つを備えた特許が有効で強い。すなわち、誰が考えてもそうならざるを得ないような必然性のあるアイデアを人より早く創出することが大事である。新しいのは良いが、いたずらに奇をてらったものでは価値が乏しい(もちろん、アイデアが何もないより、奇をてらったものでも新しい着想である方が望ましい)。必然性が重要なのは、誰もが使わざるを得ないからである。そういった特許は広く使われるだろう。本音を言うと、誰もが使いたいのだ。