「その後は……どこかの会社に入って……」
「それじゃ今と変わらないじゃないか」
 Wさんはおかしそうに笑い、僕もつられて笑った。
 それから一時間ほど飲んで、そろそろお開きにしようかというとき、Wさんはぽつりと言った。
「お前がちょっとうらやましいよ」
 僕は驚いてWさんを見つめた。
「どうしてですか? 僕なんか毎晩遅くまで働いて、いつもなんだか報われない感じがして、あげくにミスを犯して叱られたり自己嫌悪に陥ったりしているんですよ」
「それでもうらやましいよ」
「好きなことをしていて何を言っているんですか」
「なんだか手応えがないんだよな。本当に好きなことをしているのか、だんだんわからなくなってきちゃったんだ」
 僕はWさんの言っていることが理解できず、何も言えなかった。

 それから数日後のことだった。僕が原稿を書いていると編集長から肩を叩かれた。何か小言を言われるのだろうかと身構えた僕に編集長は「なかなかいいじゃないか」と笑顔を浮かべた。
「お前が今度、書いた記事、面白かったぞ。人間が生き生きと描かれていたよ」
「ありがとうございます」
「次のリポートも期待しているからな」
 僕は頑張りますと笑顔で答えた。
 ほめられたのはある企業の戦略について書いた記事だった。総花的に書いても面白くないだろうと思い切って一人の経営者に絞り込んで書いたのだ。これまでにない企業戦略のスタイルなので受け入れてくれるかどうか不安だったのだが、編集長は面白がってくれた。
 良かった。今日はどこかで祝杯をあげようかな、そう思ったとき、ふいにWさんにはこういう経験がないのかもしれないなと気づいた。
 Wさんは好きなことをして暮らしている。仕事のストレスなどほとんどなさそうだ。
 でも人から認められることの嬉しさややりがい、厳しい課題をやり遂げた後の充実感には乏しい。それが「なんだか手応えがない」という気分につながっているのではないか。もっと言えば、自分らしく生きているつもりでも、その自分を承認してくれる他者がいないと、だんだんとそれが本当に自分らしく生きているのかどうかわからなくなってしまうのではないか。
 Wさんをうらやましい気持ちがほんの少しやわらいだ気がした。

 それから二年後、Wさんからまた電話をもらった。故郷に帰り、父親の会社で働いているという。
「忙しくて毎晩遅くまで働いているけれど、一仕事終えた後、同僚や先輩たちと飲むビールは本当においしいな」
 Wさんの声は張りに満ちていた。