「落穂拾い」と言えばミレーの名画がまず思い浮かぶだろう。「種をまく人」や「晩鐘」などともに19世紀中ころの貧しい農民の逞(たくま)しい生き方を描いた名作である。落穂拾いとは、地主の麦畑の収穫を雇われて手伝う零細農民が、手間賃のほかに収穫の約10%だけ残された落穂を拾う権利をいう。元々古い欧州農村社会の互助的風習であり、農村の近代化とともにすたれていったが、ミレーの当時のフランスでは地方によっては条例でその権利がまだ残されていたらしい。

日立にもある「落穂拾い」

 私が勤めていた日立製作所にも「落穂拾い」がある。それはミレーの落穂拾いとはちょっと意味が違い、失敗に学ぶことをいう。落穂とは失敗を指し、拾うとは失敗を隠さず向き合うことである。失敗をきちんと反省してその原因を明らかにし、その後に役立てる。このような失敗の伝承は「言うは易く行うは難し」である。人は誰でも、失敗はしたくないし、失敗と認めたくないし、言い訳をして責任を軽減したい。失敗の伝承には、そのための企業文化が必要である。落穂拾いの心を伝えて実行する仕組みを作り、それを脈々と受け継ぐ不断の努力が不可欠だ。

 日立では、これをトップ・ダウンで実行していた。失敗の伝承を良いことと奨励し、失敗の検討に当たっては「罪を憎んで人を憎まず」を原則とし、失敗を正しく伝承できる精神性の涵養(かんよう)に努めてきた。また定期的に「落穂拾いの会」を開催し、幹部も交えて「失敗の研究」を実施することが慣例となっている。私も技師長時代に半導体事業部の落穂拾いの責任者として失敗学の指導に当たった。落穂とは小さいものの象徴でもあり、1個の落穂のように取るに足りなく見えるようなことにまで気を配って反省することは一朝一夕にできることではないだろう。

『施錠ミスなんて大したことではない』

 「下東さん、下東さん、ちょっと良いですか」。ある日、入門時に守衛さんに呼び止められた。守衛所に顔を出すと、「昨日、E棟4階の実験室が未施錠でした、今後注意して下さい」と言われた。入社した年の12月の寒い朝だった。『ああ、これはしくじった。いかん、いかん』と思いながら、「すみません。気を付けます」と言って実験室の鍵を受け取った。ちょうどそのころ、実験装置の調子が悪い日が続いていた。実験装置を調整しては実験をやり直すという作業を何度繰り返しても、思わしい結果が得られなかった。イライラが続いており、昨夜の帰りに点検した否かを思い出せなかった。この時は、後で大騒動になるとは予想もしていなかった。

 「分かりました。今後、気を付けます」。やや憤然とした面持ちだったと思う。そう言って部長室を出たのはそれから2週間くらい経ったある日の午後のことだった。私は施錠ミスの件で、直属の課長、勤労課の係長とその上司である課長、そして今日は直属の部長から注意を受けている。そして、とうとう始末書も提出させられることになった。始末書とは反省書である。なぜ施錠ミスをしたのかを事細かく思い出して書くよう言われた。『いい加減にしてくれよ。たかが施錠ミスで何べん同じことを言われなければならないのか』。施錠ミスは認めたが、たかが施錠ごときでなぜこんな大騒ぎになるのかという気持ちが私にあるものだから、それが態度や言葉に出てしまう。勤労課の係長とは激しい言い合いになった。多分そのために反省が足りないとでも思われたのだろう。この件はどんどん上位職に上がっていって何度も注意される羽目に陥った。

 『大体、施錠ミスなんて大したことではないではないか。敷地は塀で囲われており、2カ所の入り口には守衛所もある。どうせ誰も入れないのだから、施錠を忘れても実害はないだろう。何でこんなに言われるのか。忙しいのに』というのが私の言い分である。勤労課の係長は「何をいうか。規則を違反しておいて」と言うばかりで、私の疑問にきちんと答えてくれない。彼とは感情論で対立してしまった。直属の部長から注意を受けた数日後、今度は総務部長に呼ばれた。『参ったな。ついに総務部長か。もうこの上は所長だけだな』と思いながら、また不毛な議論になるのかと思ってとても憂鬱な気分になった。

小さな失敗を教訓に大きな事故を防ぐ

 ブラインドを上げた窓から冬の陽が差し込んでいる総務部長室で、私と総務部長は和やかに話していた。総務部長は、業務上の災害の具体例を織り交ぜながら私を諭してくれた。施錠ミスは小さなことではあるが、大きな事故の源にも成り得る。小さなミスをしっかり受け止めて反省しておけば、必ず大きな事故を防げることにつながる。君にはそれをしっかりと自覚して欲しいのだと言われた。「小さな失敗を教訓に大きな事故を防ぐ」。聞けば確かにその通りである。

 このようなことは、頭では誰でも分かっていても、なかなか実践できることではない。総務部長は、その難しさを十分に理解した上で、それを実践しようとする真摯さがあり、実践させようという使命感を持っている。私は、そのように感じて本当に驚いた。そして、斜に構えて変な理屈を言っていた自分の態度が恥ずかしくなった。それは、私にとって初めての「落穂拾い」との出会いだった。落穂拾いの精神は、事故に対してではなく私自身のエンジニアとしての生き方の原点になっていった。

 そういう意味で、これは非常に大きな出会いだった。クリスマスが近付いて木枯らしが吹いていたが、落穂拾いの精神に触れた私の心は少し暖かくなっていた。