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Appleになり損ねたパイオニア

鶴原 吉郎=日経Automotive Technology
2010/06/14 00:00
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 最近、電車に乗っていてけっこう驚くのが、米Apple社の携帯電話機「iPhone」を使っている人が多いことです。しかも、いかにも新しい電子機器に飛びつきそうな男性ばかりでなく、若い女性に目立ちます。私が大学生だった20数年前のApple社は、熱心な「信者」に熱狂的に支持されていてはいるものの、基本的にはマイナーな、知る人ぞ知る、というタイプのコンピュータ会社でした。私の研究室の先輩にも「信者」がいて、研究室にはApple IIだの、初代のMacintoshがころがっていたものです。

 最初にiPhoneが登場したとき、私が真っ先に思い出したのは、1999年にパイオニアが発売した、全面が液晶になっている携帯電話でした(参考記事。これは、電話番号もタッチパネル式の液晶で入力する、当時としては画期的な製品でしたが、結局あまり注目されずに終わってしまいました。その後パイオニアは携帯電話事業から撤退しています。

 こうした経緯があったので、同じくすべての操作をタッチパネルで入力するiPhoneが消費者にどのように受け入れられるのか、興味を持って見ていましたが、その後の経過は皆さんがよくご存じのとおりです。はっきりいって、これまでの日本の携帯電話機とは使い勝手がかなり違うので、日本市場には向かないのではないかと思っていましたが、私の予想をはるかに超えて、iPhoneは日本の携帯電話市場に浸透しています。いったい、パイオニアとApple社の明暗を分けたものは何だったのでしょうか。

 若い皆さんには想像もつかないことでしょうけれど、私が大学生のころには、パソコンにはマウスがないのが普通でした。キーボードについた矢印で上下左右にカーソルを移動させるのが当たり前だったのです。なので、マウスでアイコンを選択してクリックすることでソフトウエアを動作させるMacintoshを初めて操作したときには、本当に画期的なパソコンが登場したと思ったものです(マウスそのものはApple社の発明ではないそうですが)。

 その後、だいぶ時代が下って、現在のMac OS Xになったときにも、半透明のアイコンの美しいデザインや、ウインドーを閉じるときに画面の下方に吸い込まれるようにして消える「ジンニーエフェクト」(ジンニーとはアラジンと魔法のランプに出てくるランプの精のことで、ランプの精がランプに吸い込まれるように見えることからこう命名されたようです)などに強い印象を受けました。こうしたことは、パソコンの性能や使い勝手には関係ないのですが、使っていて、なんだかわくわくするような気持ちを味わったものです。

 こうした楽しさ、わくわくする感じは、iPhoneにも脈々と受け継がれていると思います。アイコン一つひとつのデザインや、2本の指を使って画面を拡大したり縮小したりする操作方法など、ユーザーを楽しい気持ちにさせる要素が詰まっています。用もないのについいじりたくなる、そんな魅力に満ちています。こういう魅力が、残念ながらパイオニアの液晶ケータイには充分ではなかったのでしょう。

 iPhoneには、特別な電子部品が使われているわけではありません。液晶パネルにしても、半導体にしても、ごく一般的なものが使われています(iPadや最新型のiPhone4にはApple社独自の半導体が使われているようですが)。それでも、使っている人には、他の製品との明確な違いが分かる。そこにApple社のマジックがあります。

 これまで日本のエンジニアは、100馬力だったエンジンの出力を120馬力にする、10mmだった製品の厚みを8mmにする、100gだった重さを90gにする、あるいは10万円だったものを7万円にコスト削減する、そういう数字に現れる性能で競いあってきました。実際、そうした面での技術力において、日本の電機メーカーの競争力は衰えていません。

 しかし、どうやら現在の工業製品で、製品の競争力を左右する要素として、そういう数字に表れる性能の比率が小さくなっているようです。いったい誰が、携帯電話の中に入っている半導体の性能を気にするでしょうか。それよりも、使っていて楽しいかどうか、わくわくするかどうかが製品の競争力を左右する比率が、着実に高まっています。この面で、Apple社は間違いなく、世界最強の企業でしょう。

 携帯電話機やパソコンだけではありません。テレビでも、クルマでも、あるいは家電製品でも、こうした変化は起こっています。きれいに映るテレビは当たり前、故障しなくて乗り心地も燃費もよいクルマは当たり前、そうなったとき、いかにユーザーに自社の製品を選んでもらうか。その答えの一つが、いかにユーザーに楽しさを与えられるかでしょう。

 最近、「長靴下のピッピ」や「やかまし村の子どもたち」などの児童文学で有名なリンドグレーンにインタビューした本を読みました。この本の題名は「遊んで、遊んで、遊びました」というのですが、この題名のとおり、彼女は遊びに遊んだ幸せな子供時代を送ったようです。彼女のすべての作品は、その楽しい思い出から生み出されました。

 ですから、勉強や就職活動で大変な時期だと思いますけれど、若い皆さんにも学生時代に大いに遊び、楽しい、わくわくする経験を心の中に蓄えていただきたいと思います。それが将来、皆さんの仕事にも、きっと生きるに違いありません。

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