こうした状況を一転させたのが、動画の符号化方式「MPEG-2」だったといえるだろう。DVDプレーヤーやデジタル・テレビなどで用いられているこの標準技術については、日本企業が多大なる貢献を施した。当時、NTTの研究者であった安田浩氏が立役者といえる。日本が強みとするデジタル家電への応用が見込まれていたことが、日本のエンジニアを奮い立たせたわけだ。また、日本のエンジニアも国際競争の波にもまれ、標準化委員会の論争にも場慣れし、主張すべきことは主張するとの意識改革が進んだ結果といえるだろう。MPEG-2の標準化活動を機に、「日本企業は技術情報を盗んでばかりいる」との批判は払拭されたように思う。

中国発の標準技術が続々と

 では中国企業はどうか。ここに来て、中国発の標準技術が次々と誕生している。3Gケータイ「TD-SCDMA」や「TD-LTE」、光ディスク「CBHD」、デジタル放送「CDMB-T」、家庭内ネットワーク「IGRS」、無線LAN「WAPI」などが挙げられる。中国企業がオリジナルの標準技術を策定するのには理由がある。先進国に対して、特許使用料を支払いたくないからだ。新しい技術が生まれてから、市場に製品が投入されるまでには、下記のようなフロー(流れ)がある。より上流ほど、付加価値が高い。下流になるほど、参入する企業の数が多く、価格競争に陥りやすい。

テクノロジー・チェーン

 中国企業は、「世界の工場」として広く認められるようになった。それは、このフローにおける右側(製造)の領域を強みとしているわけである。ただし、右側(下流)ほど過当競争が激しく、いわゆる「レッドオーシャン(赤い血の海における競争領域)」でサバイバル競争を強いられる。より付加価値の高い領域で事業を展開するには、競争の少ない左側の「ブルーオーシャン」への移行が重要となる。その際、大きな障害となるのが、標準化技術に盛り込まれた知的財産権である。

 中国は、DVDプレーヤーの生産で世界市場を凌駕した。それと同時に、日米欧の先進国企業から「DVDプレーヤーに関する特許使用料を支払うように」と強く迫られた。激しい攻防の末、中国企業も特許使用料を支払うことに合意したわけだが、それと同時に中国企業は「独自の規格をもたなければ、先進国に特許使用料を支払い続けることになる」と気づいたのである。かつて、中国独自の標準規格作りに関与する中国の大学教授に聞いたことがある。「エレクトロニクス市場はまだまだ大きくなる。中国の以外にも、インド、ロシア、ブラジル、アフリカと市場が開ける。ならば、中国は、こうした新興地域に向けた新たな独自規格を策定することで、事業を展開する」と。つまり、先進国を抜きに、新たな標準技術の枠組みを作り上げようというのだ。

 中国の戦略は、実に的を射ている。なぜなら、標準技術には、必ずといっていいほど選択肢があるからだ。標準化の過程において、複数の技術候補が挙げられる。そのうち、最良と判断されるものが標準技術として選定される。ならば、標準技術として採択されなかったもののうち、特許使用料が少なくてもすむ技術を、中国発の標準規格と認定すればよいわけだ。標準化は、数の論理である。これまで、エレクトロニクス製品を消費するのは先進国ばかりだった。だからこそ、先進国の論理で標準仕様を決められた。ところが、中国をはじめ、新たな市場が誕生することにより、先進国はむしろマイノリティーになりつつある。エレクトロニクス製品の消費量が多い国の論理が、新たな標準化のルールを作ることになるのかも知れない。

 この中国の戦略に対して、日米欧の企業はどう対峙するのか。いま、転機を迎えている。