会社にはいろんな人がいます。人間の集団ですから、相性のいい人、悪い人、いろんなタイプの人がいて、その人たちと結構日中長い時間一緒にすごさなければなりません。周囲の人が、自分が好きになれる、付き合っていて気持ちのいい人たちばかりなら、問題はありませんが、そうじゃない時、自分と相性の悪い人たちばかりだったら、どうしますか?

 もちろん会社を辞めたり、異動願いを出したりして、職場環境を変えるのも一つの方法。つまり、あきらめて舞台から降りてしまう、逃げるという選択です。でも、環境を変えたからといって、根本的な問題が解決されるとは限らないのが、人間社会のツライところ。ひろりんママだって、これまでの会社生活は山あり、谷あり。決して順調だったわけではありません。イヤな上司にぶつかったこともありますし、生意気な部下に悩んだこともあります。理不尽な左遷(少なくともこちら側から見れば理不尽に見えた)をされたことだってあります。「会社を辞めよう」と決心して、本当に辞表まで書いたことだってあります。でも、結局踏み切れませんでした。

木綿の糸で絹地は縫えない

 なぜ踏み切れなかったのか、その理由は今でもよくわかりません。「何となく」というのが一番正しい気がします。でも、今振り返ってみると、ひろりんママのおばあちゃんの一言に深く考えさせられたから、のような気がします。ひろりんママのおばあちゃんは明治生まれ。お裁縫がたっしゃな人で、元気な頃は、人形の着物やふとんをよくこしらえてくれました。針をもちながら、よく言っていたことが「人間はみな違ったように生まれてきているんだから、お前の思い通りに動かそうといっても、そうはいかないさ。反物だって、木綿と絹じゃ縫い方も違う。木綿は木綿のように、絹は絹のように縫わなけりゃ、決してちゃんとした着物はできないんだよ」。

 確かに木綿の生地に絹糸を使って縫ってもうまくいきませんし、絹地に木綿糸を使っても、うまく縫えません。人間関係もそれと同じ。ひょっとしたらひろりんママは絹地を木綿糸で縫おうとして「うまくいかない」「うまくいかない」とイラついていたのかもしれないなあ、と、その言葉を聞いて思いました。でも、しょせん木綿糸は木綿糸。木綿糸のひろりんママは頑張ったところで、絹糸にはなれっこありません。人にはそれぞれうまれ持った性格がありますからね。無理をしないためには、自分を知ることも大事だと思うんです。木綿糸に絹地は縫えない、仕方のないこともある、とあきらめて割り切ったら、壁だらけのように見えていたあたりの風景が少し違って見えたような気がします。

舞台を降りずに生きるオプションもある

 人生を大きな舞台に例えるならば、職場は所詮、回り舞台のセットの一つにすぎません。その舞台で、多少、気に入らない人がいたり、意に染まないことがあったところで、他にもセットはたくさんあります。家・プライベート、ひょっとしたら趣味の世界・スポーツ・ボランティアなど、人間はさまざまなセットで、さまざまな役を演じています。一つのセットで大根役者だったからといって、すべてのセットでダメ、という話ではないように思うんです。主役でも、脇役でも、あなたが自然に自分らしく役を演じられる"はまり役"は必ずあるはず。まずは、頑ななこだわりを捨てて何が求められているかを知ってみましょうよ。

 会社というセットは、一度降りたら、もう一度の同じ舞台に上がることはなかなか難しいところ。あっさりと舞台から降りる前に、他のオプションだってあることも頭において損はないと思います。嫌だからやめるのではなく、他にもっとやりたいことがあるから他の舞台に移る。働きウーマンの転身は、いつも前向きであって欲しいなと思っています。