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止まった時には,最後尾車両は上下線の間にある排雪溝に車輪を落として30°右に傾斜し,上り列車線路側に張り出していた。わずか2分後には上り列車と擦れ違うダイヤが組まれており,大惨事の一歩手前の状況だったが,奇跡的に151人の乗客にはけがはなかった。1964年の開業以来,新幹線の営業時における脱線事故は初めてで,日本中に大きな衝撃を与えた。
車両はほとんどスラブ上で停止
事故の経緯をあらためて見てみよう。とき325号は,200系車両の10両編成で,進行方向前方の新潟寄りが10号車,後方の東京寄りが1号車であった。事故後に東日本旅客鉄道が公表した資料によると,滝谷トンネルを抜けて500m走行した地点に最初の脱線痕があり,その後1400mに及び脱線走行の跡が残されていた。停止位置は,長岡駅手前6kmの地点だった(図)。
停止したときには,全部で40軸ある車輪のうち22軸が脱線していたが,大きく線路から逸脱していた車両は最後尾の1号車のみだった。同車両は上下線中央部に設けられた排雪溝に車輪を落とし,約30°傾斜していた。
1号車に次いで線路からの逸脱が大きかったのは,2号車および9号車だが,逸脱量は90cmあるいは50cm程度で,線路上のコンクリートの床(スラブ)にとどまっていたと思われる。これ以外の車両の逸脱量は10cm程度であり,確実にスラブに乗っていた。(以下は日経ものづくり2004年12月号に掲載)
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図 事故時の「とき325号」の位置
滝谷トンネルから500mの場所で脱線。長岡駅から6kmほど手前で停止した。脱線走行距離は,最初の脱線跡が最後尾車両によるものと仮定して測定された。
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