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事故は語る
Accident Investigation
は語る
[日経メカニカル2001年7月号(no.562)より]
日比谷線脱線衝突事故
最終報告が指摘しなかった“問題”
佐藤国仁 佐藤R&D社長 
「技術士による製造物責任技術相談センター」会員
2000年3月8日。午前9時1分。
8両編成の北千住発菊名行列車(第A861S)は
中目黒駅構内に差し掛かろうとしていた。
勾配を上りつつ左に曲がりながら地下のトンネルを出て,下り勾配に入る。
右にカーブすれば,そこが中目黒駅のホームだ。
が,ついにこの列車が中目黒駅に到着することはなかった。
トンネルを出て左カーブを終えようとした場所で,
最後尾車両の前台車の二つの車輪が脱線。
対向線路側に大きく押し出され,
運悪く通りかかったすれ違い電車に激突し大破したからだ(図1)。
対向車に乗っていた乗客5名が死亡,63名が負傷した。

 改めて,事故の経緯を説明しよう。図2は事故発生現場付近の様子。脱線した車両は左から右に進んできた。トンネル出口を含んで半径160.1mの左曲線,長さ27mの直線,半径231.5mの右曲線と続く線路だった。
 鉄道の線路では,曲線と直線の間に緩和曲線と呼ぶ区間を挿入する。これは,(1)曲線部の曲率と直線部の曲率(無限大)を滑らかにつなぐ(2)曲線部のカントという傾斜(左右の線路の高低差)を滑らかに接続する―ためだ。とりわけ(2)に関しては,トンネル出口を含む左曲線のカントは61mmだった。
 左曲線が終わり緩和曲線に入って7m進んだ地点で,最後尾車両の前台車の車輪はレール面に乗り上げた。約7mにわたってレールの上を走行し曲線外側に脱線。その後,枕木上を走り,対向車とのすれ違いが始まった。枕木上を走り始めてから約50mの地点だった。脱線車両は,分岐器レールに押される格好で対向車側に大きくはみ出し,ついに衝突してしまった。
 事故原因の究明に当たった運輸省事故調査検討会(以下,検討会)は2000年6月27日に中間報告を,同年10月26日には最終報告を発表した。ただし,事故原因など両報告書の内容は基本的に同じ。脱線形態は,急な曲線部における低速走行時の「乗り上がり脱線」。その原因は,静止輪重のアンバランス,摩擦係数の増大,台車のばね特性,レール研削形状など複数の要因が重なり合う「競合脱線」とした。詳しくは,中間報告をまとめた,本誌2000年8月号「事故は語る」を参照して欲しい。 (以下、「日経メカニカル6月号」に掲載)

【図1】死者5名を出した日比谷線脱線事故

【図2】事故が起きた中目黒駅付近の線路の状態。半径160m,カント61mmの円曲線に続く,長さ約30mの緩和曲線で脱線した

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