国内外で加速するものづくりのスマート化。その実現のカギを握っているのは「安全技術」だ。創業から70年以上にわたって安全機器を作り続けてきたIDECで技術開発を統括する藤田俊弘氏はこう指摘する。人とロボットがすぐ近くで協業する時代になれば、ものづくりのスマート化で日本に逆転の目が出てくるという。

写真:山本尚侍
写真:山本尚侍

 IDECは戦後の1945年に創業し、制御技術のエキスパート企業として開発に取り組んできました。その中でも、とりわけ安全技術は会社全体で開発するというメンタリティーを持っていて、我々はそれを「安全DNA」と呼んでいます。

 もともと創業家は、大阪・天神橋筋で呉服商を営んでいました。天明元年(1781年)創業の老舗で有名な呉服商だったそうです。しかし、これからは電気・制御の時代だろうということで、創業者の舩木恒雄とその兄の藤田弥一郎、弟の藤田貞三の3兄弟で電気制御機器の会社を興しました。それからさまざまな製品を世に送り出しましたが、創業から5年後に開発した工場向けの「セーフティボックス」(金属箱開閉器)がヒットしたのです。その後、スイッチやリレー、防爆機器など安全機器や制御機器を幅広く手掛けるようになり、現在に至ります。

 このセーフティボックスは、カバーが閉まっていないと電源が入らず、逆に電気が流れているとカバーが開かないというインターロック構造になっています。安全を確保する基本的な原理は、現代の安全機器と一緒です。私の父である藤田貞三が開発したもので、子供の頃によく話を聞かされました*1

*1 本誌の前身である『日経メカニカル』1990年12月10日号に藤田貞三氏のインタビュー記事が掲載されている。この記事で同氏は、「どんなに不景気でも、どこかの業界で買ってくれるクラシック商品を持っていることが強み」と語っている。

 工場の安全技術は、国際標準化も含めて欧州が主導している──。世間には、そのようなイメージがあるかもしれません。IDECも多くの分野で欧州の企業と提携していますが、「いつから安全機器を作っているのか」という話題になったとき、「1950年には最初の製品があった」と答えると、みなさんとてもびっくりします。工場向けの安全機器が普及し始めたのはだいたい1980年代なので、これだけ早くから安全機器の開発に取り組んでいるのは世界に誇れることだと思います。IDECの安全DNAの原点は、このセーフティボックスにあるのです。

 そして今、スマート化という流れの中で安全がさらに重視されるようになってきました。日本の「ロボット革命イニシアティブ協議会」やドイツの「Industrie 4.0(インダストリー4.0)」など、ロボットの用途を広げようとする機運が高まっています。これらのコンセプトを実現するためのカギは、安全思想の普及と安全技術の進化にあると私は見ています。