その瞬間、男の目には白いものが光ったように見えた。

 2015年11月11日、三菱航空機と三菱重工業(以下、三菱重工)が開発した国産小型ジェット旅客機「MRJ(Mitsubishi Regional Jet)」の初飛行(図1)。澄みわたった秋空の下、赤、黒、金のストライプが鮮やかに描かれた白い機体は、滑走路からふわりと舞い上がり、ぐんぐん高度を上げていった。

図1 初飛行を終えたMRJのパイロットと、大宮英明氏(右から2人目)ら三菱重工業/三菱航空機の幹部
図1 初飛行を終えたMRJのパイロットと、大宮英明氏(右から2人目)ら三菱重工業/三菱航空機の幹部
タラップを降りてきたパイロットを祝福し、全員で手をつないで成功を喜んだ。
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 大空の彼方に小さくなっていくMRJをじっと見守っていた三菱重工会長の大宮英明氏は手で目元をぬぐうようなしぐさを見せた。「泣いていたんですか」。着陸後、記者にこう聞かれた大宮氏は「違います」と気丈に答えた。

 MRJは初飛行スケジュールを5回も延期してきた。その苦労を考えると、大宮氏が感極まったとしても不思議ではない。同氏は国産初のジェット旅客機を飛翔させる“けん引役”を担ってきたからだ。2008年に大宮氏が三菱重工の社長に就任するのとほぼ同じタイミングで、同社はMRJの事業化を決めた。

 大宮氏は東京大学の航空工学科の出身で、三菱重工に入社以来、戦闘機の開発に約30年間も携わってきた。「計測班の1人として米戦闘機の『F15』や、ロシアの『ミグ29』にも乗ったことがある。MRJの初飛行にも同乗させてほしいと言ったが断わられた」と語るほどの筋金入りの“飛行機屋”だ。遅延にめげずに、MRJの開発を後押ししてきた。