「日経ものづくり」2017年8月号の特集2「管理されていなかった26年前のプルトニウム」を分割先行公開した前編です。

2017年6月、日本原子力研究開発機構の大洗研究開発センターの燃料研究棟で被曝事故が発生した。26年前に封止した実験用核燃料物質貯蔵容器の点検作業中に、封止していた樹脂バッグが破裂したというものである。これによって、作業者5人が内部被曝した可能性が指摘されている。原子力関連の事故に詳しい桜井淳氏が本事故の問題点を探る。

 2011年3月の福島第一原子力発電所の事故後、世論が放射能や被曝について厳しい目を向けている中で新たな被曝事故が発生した。日本原子力研究開発機構(JAEA:Japan Atomic Energy Agency)の大洗研究開発センター(茨城県・大洗町)の燃料研究棟(PFRF:Plutonium Fuel Research Facility)で発生した、プルトニウム(Pu)239とアメリシウム(Am)241による被曝である(図1)*1

*1 Pu239とAm241の半減期はそれぞれ2万4100年と433年。

図1 事故のあった燃料研究棟
図1 事故のあった燃料研究棟
旧日本原子力研究所の施設で、竣工は1974年。1977年からプルトニムを扱う実験を行っている。 写真:JAEA
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 PFRFは、JAEAの母体の1つである旧日本原子力研究所の施設であり、実験済み核燃料物質の安定化処理などを行っている*2。本稿では、同機構が茨城県知事に提出した報告書などを基に、事故の経緯やその原因などについて考察する1)

*2 PFRFの着工は1974年。実験開始は1977年。