センサーと人工知能で精神科疾患が診察できる!

独自のアルゴリズムで治療効果予測や早期退院支援も

2016/11/16 04:00
大下 淳一=日経デジタルヘルス
出典: 日経メディカルOnline,2016年11月10日 , (記事は執筆時の情報に基づいており,現在では異なる場合があります)

これまで、重症度や治療効果を測る明確な客観的指標が存在しなかった精神科医療を、デジタル技術が大きく変えようとしている。人工知能(AI)を活用し、診察時の患者の表情やしぐさ、声を定量的に分析してうつ病の重症度を評価したり、電子カルテの記載内容から統合失調症患者の入院期間や再発リスクを予測したりする試みだ。属人的で主観的な言葉ではなく、科学的根拠に基づく客観的な“共通言語”で精神科疾患を語る――。そんな時代が訪れようとしている。

「人工知能によって精神科医の仕事がなくなるとは思わないが、使える部分では機械を有効に使い、診療の質の改善につなげるのが望ましい」と話す慶應義塾大学精神・神経科学教室の岸本泰士郎氏
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 「現代医学では、ほぼすべての領域に画像診断やバイオマーカ-などの科学的あるいは客観的な指標が存在する。そうした医学の進歩から取り残されてきたのが精神科医療だ」。慶應義塾大学精神・神経科学専任講師の岸本泰士郎氏はこう語る。精神科領域では診断や重症度の評価、治療介入後の効果判定などあらゆる場面で、明確なエビデンスが不足したまま治療が行われているのが現状だ。

 うつ病などの精神科疾患の診断は、主に医師による問診を通じて行われる。「診察時の患者の表情や動作、話の内容を基に返答までに長い時間を要したり、回りくどい話し方になったりするといった特有の症状を探っていく」(岸本氏)。

 こうした医師による観察や、患者自身の申告を基にした重症度の評価指標(レーティングスケール)はいくつか存在する。ただし、その判定基準はあいまいだ。「条件を何個以上満たせば『うつ病と診断することにしよう』という、言わばざっくりとした線引きがなされているのが実情」(岸本氏)。医師の主観というバイアスが加わりやすいし、診察時の患者の調子や気分によって評価が左右することもある。

 重症度を評価する尺度に客観性が足りないため、治療開始時期の判断や治療効果の判定も下しにくい。「ひとたび治療を始めたら、『何となく効いていそう』という感覚だけを頼りにその治療を続けるほかない」(岸本氏)というのが現場の実感だ。最近、多くの製薬企業が精神科領域から撤退する動きがあるのも、臨床試験でプラセボ(偽薬)を上回る効果を客観的に示すのが難しいことが背景にあるようだ。

患者の表情や声、会話内容を定量分析

 こうした状況にメスを入れるべく、岸本氏は機械学習(人工知能)というアプローチを使って、うつ病や認知症などの精神疾患の重症度評価に高い客観性を持たせる研究に取り組み始めた。それが、岸本氏らが2015年11月に新たに立ち上げた研究プロジェクト「PROMPT(Project for Objective Measures Using Computational Psychiatry)」だ。「ICTを活用した診療支援技術研究開発プロジェクト」という国家プロジェクトの1つに採択され、岸本氏が研究代表者を務める。プロジェクトには日本マイクロソフトやソフトバンク、オムロンなど7社が参加する。

 この研究では、診察時の患者の表情や声、話の内容などをカメラやマイクで集め、一定のルールに基づき、定量的なデータに変換する。その上で、精神疾患に特異的で、重症度や再発パターンをよく反映する指標を見出していく計画だ。

 この定量的なデータと症状や重症度などの指標との相関を解明するために使うのが、「機械学習」と呼ぶ手法だ。機械学習とは、多くの臨床データを元に、例えば症状と定量的な指標との関係をコンピューターに見出させることを指す。大量の臨床データに基づいて症状と指標の関係を導きだすことができる一方で、研究者の思い込みなどがないため、より客観的な診療アルゴリズムが作成できると期待されている。診察時だけでなく、患者の日常の活動量や睡眠のデータも解析に取り込む予定で、さまざまな角度から重症度や再発パターンを捉えられるものを目指すという。

 目標は、うつ病などに対する客観性を持った評価指標を作り、医師による診断を診察中にリアルタイムに支援するシステムを作ること。患者が診察室に入り医師と会話を交わしている間に、表情や声、話の内容をデータとして取り込み、そのデータを自動で解析。重症度などの評価結果を医師にフィードバックし、診断を支援する。そんな仕組みだ。

 患者の表情や声、話の内容は、どのような方法で定量的に分析するのか。その一端を見てみよう(図1)。

図1 精神科疾患の客観的評価指標をつくる(岸本氏の資料を基に本誌作成)
PROMPTでは、うつ病などの患者の表情や声、睡眠などを定量的なデータに変換して分析。重症度や再発のサインを客観的に評価できる機械学習システムの開発を目指している。図中の生活習慣に関するデータは患者が持つウエアラブル端末で収集する計画だ
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 患者の表情の分析には、オムロンが開発した「OKAO Vision」と呼ぶ画像センシング技術を使う。患者の様子をカメラで捉え、表情や視線の変化、まばたきのパターンなどを定量化して分析に使用する。声の分析では「声帯の震えや口の開き方、会話速度にうつ病などの傾向が表れる」(岸本氏)ことに着目。音声認識技術や人工知能を使って、マイクで集めた患者の声から声量や語彙数、会話速度、指示語などの特徴を分析する。そしてマイクロソフトの技術を使ってこれらの情報を統合的に解析し、重症度評価のアルゴリズムを作成する。

カメラやマイクが「診察」する

 患者の表情や声、話の内容に着目した今回のアプローチは「奇想天外なものではなく、世界中で類似の研究が行われている」と岸本氏は話す。これまでに行われてきた研究では、既に患者の声や話の内容、活動量から、うつ病などを80~90%の精度で判定できるとの結果が出ている。表情や声の様子、話の内容をカメラやマイクを使って収集し、それらのデータを機械学習で統合的に解析するところが今回の研究の特徴と言えるだろう。

 2016年春からは、うつ病や双極性障害などの患者数十人を対象に、実証研究を開始した。患者の表情や声などに関するデータを既に150セットほど集めており、「臨床的に意味のある判定率が得られそうだという感触を得ている」(岸本氏)。リストバンド型のウエアラブル端末を使い、患者の活動量や睡眠のデータを集める取り組みも始めたところだ。

 今後、1000セットを超えるサンプルを収集し、重症度評価の精度を高めていく。プロジェクト最終年度の2018年度末までに、評価アルゴリズムとそれを利用した診断支援システムを完成させる計画だ。

 実地診療への導入に向けては、「機械学習という全く新しいアプローチについて、どのように薬事承認を得るかが課題になる」と岸本氏は話す。従来、医療機器などの薬事承認では「物理量をいかに正確に測れるかが審査の基準だった。今回のシステムでは、(機械が算出した結果が)『推定量』であり、そこにこれまでとは違う難しさがある。そのため、医薬品医療機器総合機構(PMDA)と議論を始めたところだ」(岸本氏)。

埋もれてきた膨大な診療情報を活用

 精神科領域で客観性が軽視されてきたのは、問診だけではない。電子カルテに記載された膨大な診療情報もまた、長らく「客観的評価」が行われてこなかったものの1つだ。

 精神疾患患者の診察記録として電子カルテに記載されているのは、冗長な自由記述文であることが少なくない。しかも医師ごとに違う経験や考え方が書き方に反映してしまうため、同じものを見ても書かれる文章は異なってくる。

 こうしたカルテの自由記述文から、統合失調症患者の入院長期化や再発に影響を及ぼす因子を抽出して、医師と看護師、ケースワーカーの3者がいち早く対処すべき項目を共有できる形に整理することで、早期退院や再発予防につなげられるのではないか。そんな取り組みを2016年7月から実地診療で始めたのが、約300床の精神科病院である桶狭間病院藤田こころケアセンター(愛知県豊明市)だ。活用するのは、米IBM社の人工知能「Watson(ワトソン)」。

「これからの精神科医療では、退院後の患者の再発防止に向けた地域との連携が重要になる。そのための情報共有の仕組みの構築も欠かせない」と話す桶狭間病院藤田こころケアセンターの藤田潔氏
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 精神科領域では「膨大な電子カルテ情報が、眠ったまま活用されていない」。桶狭間病院藤田こころケアセンター院長の藤田潔氏はこう指摘する。精神科では「医師も看護師も冗長な文章でカルテを書きがち」(藤田氏)だ。3カ月の入院を3度繰り返した患者のカルテ情報をすべて読もうとすれば500分かかるという試算もある。精神科では治療期間が10年、20年に及ぶ患者も珍しくなく、とてもその患者の全てのカルテには目を通せないのが実情だ。

 そこで藤田氏は、大塚製薬および日本IBMと協力し、Watsonを活用した精神科向け電子カルテ解析システム「MENTAT(メンタット)」を開発。藤田こころケアセンターで2016年7月から稼働を始めた。大塚製薬と日本IBMはこのシステムを今後、外販していく考え。そのための合弁会社「大塚デジタルヘルス」を2016年6月に立ち上げるという力の入れようだ。

同じ症状が違う言葉で書かれてあるカルテの記載を理解

 MENTATとは、Watsonの自然言語処理能力を活用したクラウド型のシステムである。自然言語処理を使うと、コンピューターが自由記述で書かれた文章を解析して、その文章が意味するところがどういうことか、2つの文章が意味することが同じかどうかなどを判定できる(図2)。

 電子カルテに記載された経過記録や退院サマリ、看護メモなどから、「未治療期間」「初発時年齢」「拒薬傾向」といった、入院長期化や再発の予測に関わる因子を60個ほど文章から抽出。患者ごとにそれらの因子に関する情報を整理したデータベースをWatsonが自動で作成する。カルテの記載文には記載者の経験や好みといった個人差に基づくばらつきが出がちだが、Watsonはそのばらつきをも吸収した上でデータに変換できる強みがある。

図2 電子カルテの記述をWatsonで分析(藤田氏と大塚デジタルヘルスによる資料を基に本誌作成)
MENTATではWatsonの自然言語処理能力を使うことで、自由記述文における二重否定表現などを正しく認識できる。これを生かし、電子カルテの記述を構造化データに変換し、入院長期化や再発に影響を及ぼす因子を自動抽出する
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 過去の類似症例も簡単に検索でき、その症例がどのような経過をたどったか、どのような治療が有効だったかを確認することも可能だ。このほか、患者の病歴などの情報を表示したり、患者に処方された薬剤名や投与量を時系列で表示したりするなど、計12種類の機能を利用できる。

 同センターには、過去5年分の電子カルテデータとして、患者数8000人、入院数5600件、電子カルテ記述数にして2000万件が蓄積されている。この膨大なデータを、Watsonを使って整理し、診療に利用できる形のデータベースを構築した。このデータベースを活用すれば、これまでに得られた、患者の症状などと予後や治療効果との相関が一目瞭然となり、新しい患者の予後や治療に対する反応を予測することに活用できる。

 MEMTATは、こうして整理した電子カルテの情報から、それぞれの患者の治療の難易度を自動評価する仕組みを備える。例えば、措置入院や自殺未遂を繰り返しているといった因子に重み付けをし、医師と看護師、ケースワーカーのそれぞれにとっての治療の難易度を3段階で評価する。これによって「入院後すぐに、優先的に解決すべき項目を関係者が共有できるため、それを徐々につぶしていくことで早期退院につなげられる」(藤田氏)。

 既に同センターでは、統合失調症患者などの治療でMEMTATの利用を開始。治療難易度が最高ランクと評価された患者でも、予後や治療に対する反応を予測し、その予測に基づいて治療方針の決定や入院中からのデイケア体験、家族や訪問看護との調整を早期に進めることで、驚くほど早期に退院できたケースが生まれているという。

 ある50歳代の統合失調症患者のケースでは、過去の類似症例を参考にすると3カ月以内の退院率がゼロ、退院後も95%の確率で3カ月以内に再入院していることがMENTATで判明。この情報を医師と看護師、ケースワーカーが共有し、優先的に取り組むべき項目を明確にすることで、比較的早期の退院につなげられた。現在まで再入院せず、訪問看護などで対応できているという。

業務管理や病床管理にもメリット

 治療の質が高まっただけでなく、院内スタッフの業務管理や病床管理の面からも効果があったという。「治療難易度の高い患者ばかりを特定の医師や看護師に集中させないといった、院内スタッフのストレス管理に役立っている。患者の退院時期を早期に予測できるので、病床が空くタイミングが事前に分かるなどベッドコントロールにも有用だ」(藤田氏)。

 近年、精神科領域では厚生労働省も早期退院を推奨する方針を打ち出しており、「早期退院のための院内体制やオペレーションを確立する取り組みが欠かせなくなってきた。精神科医療は大きく変わるべき時を迎えている」と藤田氏は話す。精神科医療に機械学習による科学的指標を持ち込むことを目指す慶應義塾大学の岸本氏は「人間の心のすべてを機械で読み取れるとは思わないが、その一部を定量化することで精神科医療の質を高めていきたい」と話している。