これまで、重症度や治療効果を測る明確な客観的指標が存在しなかった精神科医療を、デジタル技術が大きく変えようとしている。人工知能(AI)を活用し、診察時の患者の表情やしぐさ、声を定量的に分析してうつ病の重症度を評価したり、電子カルテの記載内容から統合失調症患者の入院期間や再発リスクを予測したりする試みだ。属人的で主観的な言葉ではなく、科学的根拠に基づく客観的な“共通言語”で精神科疾患を語る――。そんな時代が訪れようとしている。

「人工知能によって精神科医の仕事がなくなるとは思わないが、使える部分では機械を有効に使い、診療の質の改善につなげるのが望ましい」と話す慶應義塾大学精神・神経科学教室の岸本泰士郎氏
「人工知能によって精神科医の仕事がなくなるとは思わないが、使える部分では機械を有効に使い、診療の質の改善につなげるのが望ましい」と話す慶應義塾大学精神・神経科学教室の岸本泰士郎氏
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 「現代医学では、ほぼすべての領域に画像診断やバイオマーカ-などの科学的あるいは客観的な指標が存在する。そうした医学の進歩から取り残されてきたのが精神科医療だ」。慶應義塾大学精神・神経科学専任講師の岸本泰士郎氏はこう語る。精神科領域では診断や重症度の評価、治療介入後の効果判定などあらゆる場面で、明確なエビデンスが不足したまま治療が行われているのが現状だ。

 うつ病などの精神科疾患の診断は、主に医師による問診を通じて行われる。「診察時の患者の表情や動作、話の内容を基に返答までに長い時間を要したり、回りくどい話し方になったりするといった特有の症状を探っていく」(岸本氏)。

 こうした医師による観察や、患者自身の申告を基にした重症度の評価指標(レーティングスケール)はいくつか存在する。ただし、その判定基準はあいまいだ。「条件を何個以上満たせば『うつ病と診断することにしよう』という、言わばざっくりとした線引きがなされているのが実情」(岸本氏)。医師の主観というバイアスが加わりやすいし、診察時の患者の調子や気分によって評価が左右することもある。

 重症度を評価する尺度に客観性が足りないため、治療開始時期の判断や治療効果の判定も下しにくい。「ひとたび治療を始めたら、『何となく効いていそう』という感覚だけを頼りにその治療を続けるほかない」(岸本氏)というのが現場の実感だ。最近、多くの製薬企業が精神科領域から撤退する動きがあるのも、臨床試験でプラセボ(偽薬)を上回る効果を客観的に示すのが難しいことが背景にあるようだ。