癌が疑われる箇所にスプレーのように散布すると、わずか数分のうちに癌だけが明るく光る。そんな診断薬が近い将来、内視鏡検査や手術を支援するツールとして臨床現場に届く可能性が出てきた。乳癌では術中迅速診断への応用に向けて、2018年度の薬事承認申請を目指した性能評価を開始。食道癌でも内視鏡検査や手術での利用に向けた安全性試験に着手している。

 「こんなことができるのかと驚いた」。済生会福岡総合病院外科医長/乳腺外科の上尾裕紀氏はその瞬間をこう振り返る。同氏の父で、うえお乳腺外科(大分市)院長の上尾裕昭氏、九州大学病院別府病院外科教授の三森功士氏とともに、ある試薬の効果を検証したときのことだ。

 外科手術で摘出した乳癌組織に、無色の液体試薬を散布。するとわずか1~2分のうちに、癌だと疑われた箇所が緑色の蛍光を放ち始めた(写真1)。観察には簡易型の装置を使ったが、蛍光は肉眼でも分かるほどの明るさ。光った箇所を病理診断に出したところ、確かに癌細胞が存在していた。

 写真1 乳癌の手術検体に蛍光プローブを散布すると、数分で癌が明るく光った。写真の矢印の箇所に癌が存在する。(写真提供:浦野氏)
写真1 乳癌の手術検体に蛍光プローブを散布すると、数分で癌が明るく光った。写真の矢印の箇所に癌が存在する。(写真提供:浦野氏)
[画像のクリックで拡大表示]

 試薬の正体は、実験に同席していた東京大学大学院薬学系研究科・医学系研究科教授の浦野泰照氏が、米国国立衛生研究所(NIH)主任研究員の小林久隆氏らと共同で開発した「蛍光プローブ」。ある種の蛋白質分解酵素と反応することで蛍光を発するように設計した有機小分子である。実験では、乳癌や卵巣癌など、多くの癌で細胞表面に強く発現していることが報告されているγ‒グルタミルトランスぺプチダーゼ(GGT)に着目し、これと反応して光るように蛍光プローブを設計した。

 この蛍光プローブはアミノ酸とローダミン類などの蛍光分子を結合させた試薬で、もともとは無色で蛍光もない。これが癌細胞表面の蛋白質分解酵素と出合うと、加水分解されて蛍光分子がアミノ酸から切り離され、癌細胞内に取り込まれて蛍光を発する仕組みだ(図1)。癌が疑われる箇所に1mgに満たない量をスプレーのように散布するだけで、数分のうちに癌が明るく光る。「手術中に癌をこれほど短時間で明瞭に可視化できる技術はこれまでなかった」と上尾氏は話す。

図1 癌細胞の表面に存在するGGTと蛍光プローブが反応し、緑色の蛍光を発する。この蛍光分子を癌細胞が内部に取り込み、明るく光る。(東京大学の浦野氏の資料を基に作成)
図1 癌細胞の表面に存在するGGTと蛍光プローブが反応し、緑色の蛍光を発する。この蛍光分子を癌細胞が内部に取り込み、明るく光る。(東京大学の浦野氏の資料を基に作成)
[画像のクリックで拡大表示]

 GGTは癌以外の正常細胞でも発現しており、そうした細胞が光ってしまうこともある。だが癌細胞ではGGTがより強く発現しているため、他の細胞よりも明るく光って見える。

 それまでも蛍光プローブでマウスの癌を光らせることには成功していたが、人の手術検体で成功したのはこのときが初めて。この成果を受けて上尾氏らは、数十症例の様々なタイプの乳腺腫瘍に対して蛍光プローブの性能を検証。感度92%、特異度94%という優れた診断能で乳癌を識別できることを明らかにした。5cm大の乳腺組織に潜む大きさ1mmほどの癌や、リンパ節転移も識別できた(写真2)。

写真2 手術で取り出した乳癌検体に蛍光プローブを散布し、強い蛍光が得られた箇所を病理診断したところ、直径1mmほどの微小な癌が存在した。この癌は肉眼では確認できなかった。(東京大学と九州大学、科学技術振興機構の発表資料による)
写真2 手術で取り出した乳癌検体に蛍光プローブを散布し、強い蛍光が得られた箇所を病理診断したところ、直径1mmほどの微小な癌が存在した。この癌は肉眼では確認できなかった。(東京大学と九州大学、科学技術振興機構の発表資料による)
[画像のクリックで拡大表示]