製薬業界の未来、ヘルスケアベンチャーと描く

MSDとグロービスが「ヘルステックプログラム」

2016/02/19 04:00
大下 淳一=日経デジタルヘルス

 製薬企業とベンチャーキャピタルがタッグを組み、ICT(情報通信技術)を生かしたヘルスケアビジネスの“土壌”をつくる――。そんな動きが日本で始まる。

 米製薬大手Merck & Co.日本法人のMSDは2016年2月、ベンチャーキャピタルのグロービス・キャピタル・パートナーズと共同で「ヘルステックプログラム」を始動させる。ヘルスケア分野でICTを活用したサービスやソリューションを開発するベンチャー企業に対し、事業化に必要な知見やノウハウ、ネットワークなどを無償で提供する取り組みだ。

 MSDはヘルスケア業界の課題や専門知識、各種法規制に関する知見やノウハウを提供。グロービス・キャピタル・パートナーズは、経営や資金調達に関するノウハウやネットワークを提供する。

 ベンチャー企業の育成や支援に関する取り組みは、米国の医療・製薬業界では盛んだ。一方、日本では、製薬企業がこうしたオープンな形でヘルスケアベンチャーを支援する取り組みは異例といえる。

MSD 経営戦略部門 ビジネス・イノベーション・グループ ディレクターの樋渡勝彦氏(向かって右)とグロービス・キャピタル・パートナーズ シニア・アソシエイトの福島智史氏(同左)
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 ヘルステックプログラムの狙いや具体的な取り組みについて、MSD 経営戦略部門 ビジネス・イノベーション・グループ ディレクターの樋渡勝彦氏と、グロービス・キャピタル・パートナーズ シニア・アソシエイトの福島智史氏に聞いた。

医薬品にプラスアルファの価値を

 「Beyond the Pill」――。これが、今回の取り組みをひも解くキーワードだ。

 MSDは2010年、今後10年の経営目標として「日本で最も優れたヘルスケア企業になる」ことを掲げた。そこに向けたビジネスイノベーションを示す言葉が、Beyond the Pillである。「医薬品提供の価値をより高めるとともに、医薬品提供にとどまらないサービスやソリューションの提供者となることを目指す」との意味を込めた。

 MSDが医薬品ビジネスの“先”に見据えるのは「高齢化や社会保障費増大などの社会的課題と、そこから派生するさまざまな課題に挑む」(樋渡氏)こと。そのために必要な「イノベーティブなソリューションを手にしたい」(同氏)との思いが、ヘルステックプログラムの背景にはある。「社内だけではリソースが限られる。スタートアップと組むことがブレークスルーを生む」(同氏)。

 その際、ヘルスケアの未来にとりわけ大きなインパクトを持つとMSDが考えたのがICTだった。ICTの進化は「人々の行動に変容をもたらしている。IoTを活用し、ライフログなどが容易に取得できるようになってきた」(樋渡氏)。こうした技術の中に、価値創出のタネがあるとにらむ。

ビジネスの土壌をつくる

 MSDの親会社、Merck & Co.が本社を置く米国では、ヘルスケアベンチャーの「イグジット(exit)やそこに至るロードマップが明確だ」と樋渡氏は話す。べンチャーキャピタルによるヘルスケアベンチャーへの投資額は、米国では年間4000億円を超えるとされる。多くの製薬企業や医療機器メーカーが独自のコーポレートベンチャーを持ち、ベンチャーへの出資や長期的視点に立った育成に力を入れている。

 実際、Merck & Co.は2010年、ベンチャーへの投資を目的としたコーポレートベンチャーキャピタル「Global Health Innovation」を設立。総額5億米ドルの資金を持ち、既に20社以上に対して計3億米ドルの投資を行ったという。

 こうしたベンチャー支援の基盤が「日本には存在しない。今回はその土壌づくりに取り組みたい」(樋渡氏)。事業開発やサービス創出を念頭に置きながらも、まずはベンチャーとその顧客、事業パートナーとなりえる企業が一堂に介する“コミュニティー”を作ることを狙う。将来は、ここで育ったベンチャーとの提携なども視野に入れる。

PDCAサイクルを回せない

 グロービス・キャピタル・パートナーズを今回の取り組みに突き動かしたのは、ヘルスケアビジネスへの参入を狙うITベンチャーが持つ「熱量を冷ましたくない」(福島氏)との思いだった。

 同社はかねて“2つのIT”に着目してベンチャーを支援してきたという。IT(Information Technology)と、それがもたらすIT(Industry Transformation)、つまり産業構造の変革だ。今後は「インターネットの世界が“リアル(現実)”へしみ出す。その代表例がIT×ヘルスケアだ。この分野で起業したいと考えるプレーヤーはとても多い」(福島氏)。

 ところが、ヘルステック分野には製品やサービスの「PDCAサイクルを回すことが難しい」(福島氏)という課題がある。これが多くのベンチャーにとって事業化のハードルになっているという。例えば、ゲームアプリのようなビジネスであれば、市場投入後にユーザーの声をくみ取り、改善することが比較的容易だ。対して、基本的に「医療機関へのアクセスを持たない」(同氏)ITベンチャーが、現場の声をサービス開発に取り込むことは難しい。

 サービス開発に当たって「そもそも何が課題なのかが分からない」(福島氏)点も大きい。例えば、糖尿病に関わるサービスを開発しようとしても、課題が「服薬のアドヒアランスなのか、他のことなのかといったことが判断できない。法規制上、どこまでのことが許されるかも分からない」(同氏)。

まずは課題を洗い出す

 こうした悩みを抱えるベンチャーに対し、ヘルステックプログラムでは「“駆け込み寺”のようなオープンな場を提供したい」(福島氏)。

 製薬企業は病院や医師、患者、学会など、医療分野の「さまざまなステークホルダーとつながりを持つ」(樋渡氏)立場にある。そこで、MSDがこれらのステークホルダーとのコンタクトチャネルをベンチャーに提供。顧客ニーズやパートナーとの連携を意識したサービス開発を支援する。特に、ヘルスケア分野の「課題を洗い出し、それを伝えることが重要な役割になる」(福島氏)。

 支援対象は、ハードウエアを手掛ける企業から、アプリケーションやサービスを手掛ける企業まで「幅広く検討したい。ビジネスモデルもC(一般消費者)向けやB(法人)向け、B to B to Employee(従業員)など、多様な形が考えられる」(福島氏)。

 比較的近い時期に製品やサービスを市場投入できそうな企業を中心に、開発から事業化までを支援する考え。資金提供という形の支援も排除しないが、資金目的ではなくあくまでも「技術と情熱を持った企業を支援する」(樋渡氏)。

どんな“野菜”が育つのか

 現在、支援企業の募集と選定を進めており、2016年3月をめどに複数社の支援プログラムを始動させる。各プログラムの進捗は「3~6カ月ごとに振り返る体制としたい」(福島氏)。ウェブサイトを通じた情報発信や、学生向けのハッカソンイベントも予定している。

 「テクノロジーの進化と、国を挙げてのヘルスケア推進という環境変化。この両輪によって“動かなければ”という思いと“動ける”という思いがそろったのが今の状況」。樋渡氏はこう話す。ヘルステックプログラムは製薬企業がこの機を捉え、ヘルスケアベンチャーとともに未来を描こうとする取り組みだ。ここから生まれる土壌に「どんな野菜が育つかは、我々にも分からない」(同氏)。