火砕流などで生じた瓦れき置き場跡地を活用

 南島原市から近い雲仙・普賢岳は、1990年11月に、198年ぶりに噴火した。その後、一時的に噴火活動は弱まったものの、翌1991年2月に再び噴火が始まった。

 同年5月には、土石流が発生したほか、溶岩ドームが現れ、その崩壊による火砕流によって島原半島、特に島原市と深江町に大きな被害をもたらした。6月3日に発生した大規模な火砕流では、報道関係者や消防団員などが巻き込まれ、死者・行方不明者40人以上という惨事となった。

 堆積した大量の火山灰により、現在でも、土石流の発生しやすい状態となっており、降雨などの状況次第で、大規模な土石流が発生する恐れがある。

 今回のメガソーラーは、南島原市布津町に立地する(図2)。この土地は、火砕流が流れていった場所に近い。東側の近くの地域に、火砕流が通った。被災後の復興では、火砕流などで残った瓦れきを、一時的に置いておく場所として使われた。瓦れき置き場としての役割を終えた後、更地となり、遊休地となっていた。

図2●中央付近で雲に山頂部が隠れているのが雲仙・普賢岳
図2●中央付近で雲に山頂部が隠れているのが雲仙・普賢岳
メガソーラーが立地する土地は、瓦れき置き場として使われた(出所:日経BP)
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 土地を所有していたのは建設会社だった。チョープロで太陽光発電を担う定富勉取締役は、友人を介して、この土地を太陽光発電所の候補地として紹介されたという。

 林地開発許可に基づいて開発された土地だったことから、所有していた建設会社が用途変更の許可を得てから、チョープロが購入した。

 ただし、系統接続のために九州電力に支払う工事費負担金が、開発当時としては相対的に高く、検討時の課題となった。それまで同社が開発してきた発電所の工事費負担金は、40万~200万円程度だった。これに対し、南塩原の案件は約2800万円だった。その後、負担金の相場は急上昇し、数千万円になることも珍しくなくなったが、当時としては、かなりの負担額だった。

 九州電力からは、このタイミングで開発しなければ、今後、立地する土地の近辺では、太陽光発電所を連系できなくなるかもしれないと助言され、開発を決断する一つの要因となった。

 また、その後、この土地より北側の地域で出力約7MWのメガソーラーの開発を検討したものの、雲仙・普賢岳周辺の国立公園の範囲内だったことから、環境省から開発許可が下りず、開発を断念した。