「私とは何か」「私はどこから来たのか」という問は、長いこと思想や哲学、文科系の課題だったが、今や、生命の根源を探す深海研究や惑星誕生を解き明かす天文学が、そのもっとも根源的な「問」に答えようとする時代を迎えている。
そこには、名もなき凄腕の職人たちがいた
かつて、ラジオで放送されていた『子供電話相談室』で、強く印象に残っている子供の質問がある。3~4歳の幼児だったと思うが、こう聞いたのだ。
「ボクはどうしてここにいるの?」
そういう「問」を投げかけ、その「問」の答えを必死に探し求める。
そういうありようこそが、人間の人間たるゆえんであり、科学の最大テーマなのだ。
もっともそれを真摯に探りたいという天文学者たちのリクエストは、それを可能にする道具、手段がなければ満たされない。スーパー望遠鏡「アルマ」は、日・米・欧のエンジニアでもある天文学者たちが、メーカーとともに30年をかけて実現したのだ。
日本では、三菱電機、そして数多くの町工場がその仕事に取り組んだ。
「アルマ」のパラボラアンテナの「お椀」を東京ドームの大きさとするなら、その鏡面をシャープペンシルの芯の太さよりも精密に切削加工し続けた人たちがいた。
「どう考えても作れない」と何ヶ月も眠れぬ日々を過ごした末にパラボラ面の仕上げ切削加工をした人たちがいた。
マイナス20℃からプラス20℃まで40℃という気温変動でも、1000分の数ミリの熱変形すら起こさないアンテナの設計に取り組んだ人たちがいた。
太さが髪の毛の半分、長さが1ミリ以下という、私にはとても肉眼では見えない「刃」を使い、宇宙電波を受信する指先にのる小さな部品の超精密加工に没頭した人たちがいた。
欧米から「日本には作れっこない」と冷ややかに言われながら、「アルマ」の心臓部である超伝導素子を作り上げた人たちがいた。