父の急逝をきっかけに専業主婦から32歳で精密加工メーカーであるダイヤ精機の社長に。製造ラインなどで機械部品の良否を判定する測定具「ゲージ」を主力商品に同社を再建した。奮闘する“女社長”の姿は全国の中小企業の経営者の共感を得て書籍化。ついにはNHKでドラマ化に至った。
注目の経営者である諏訪貴子氏に話を聞いた。
連載
ドラマ化記念「町工場の娘」インタビュー:
ものづくりが輝く時代をもう一度見てみたい
ダイヤ精機 代表取締役 諏訪 貴子氏
(聞き手は、山田 剛良、高市 清治=日経ものづくり)
諏訪貴子(すわ・たかこ)
1971年東京都大田区生まれ。95年成蹊大学工学部卒業後、自動車部品メーカーのユニシアジェックス(現・日立オートモティブシステムズ)入社。98年と2000年に創業社長の父に請われ、ダイヤ精機に入社するがリストラに遭う。以後は専業主婦だったが、2004年父の急逝に伴い、ダイヤ精機社長に就任。機械部品の良否を判定する測定具「ゲージ」の設計・製作に注力するなどして同社を再建した。経済産業省産業構造審議会委員。政府税制調査会特別委員。「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞受賞。(写真:加藤康)
目次
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諏訪貴子氏~私は幸運、2代目だからこそ創業したい
ダイヤ精機、ダイヤエンジニアリング代表取締役 諏訪 貴子[最終回]
当社では私が見積もりを全部チェックします。大手のメーカーに勤務してものづくりに携わり、工作機械を動かした経験もあります。原価計算などもその時に覚えました。
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諏訪貴子氏~自社の強みをアピールしないと生き残れない
ダイヤ精機、ダイヤエンジニアリング代表取締役 諏訪 貴子[第3回]
言うまでもなく製造業をめぐる環境は厳しくなる一方です。中小企業といえどもグローバリゼーションの波をかぶり、世界中の企業が競争相手です。ものを造れば売れる時代は遠に過ぎ、何を造れば売れるのか考えなくてはいけない時代に変わりました。
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諏訪貴子氏~ドラマ作りはものづくりにそっくり
ダイヤ精機、ダイヤエンジニアリング代表取締役 諏訪 貴子[第2回]
「マチ工場のオンナ」はテレビドラマですから私の本と異なる部分はあります。例えば、舞台は東京都大田区から名古屋市に変わっています。私自身は製造業でエンジニアとした鍛えられた経験があり、そこで学んだことは経営にとても役立っていますが、ドラマでは主婦目線での思いつきが会社を救うような場面が出てきます。
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諏訪貴子氏~夢を思い描き続けるのが成功の秘訣
ダイヤ精機、ダイヤエンジニアリング代表取締役 諏訪 貴子[第1回]
専業主婦だった私がダイヤ精機の社長に就任したのは2009年。父の急逝がきっかけでした。夫の転勤で米国行きが決まっていた時だったので、まさに青天の霹靂でした。私が工学部出身でメーカーに技術者として勤務した経験があり、ダイヤ精機でも一時は父の仕事を手伝っていたので、幹部から請われたのです。