悪者に仕立て上げられたザハ・ハディド事務所

――ザハ・ハディド事務所や設計JVの働きをどう評価しているか。

内藤:好きか嫌いかは別として、ザハ・ハディド事務所のこれまでの仕事は悪くないと思っている。整備費の調整に合わせて減額案をつくり、社会的問題を考慮したデザインを考え、ダウンサイジングに対しても誠実に応対していた。問題はザハ・ハディド事務所の役割がデザイン監修者という曖昧な立場にあったことだ。デザイン監修者についての仕組みは不十分で、走りながら役割を決めているというようなありさまだった。

 ザハ・ハディド事務所や設計JVが提出したコスト削減案を見てきたが、提案を受けた発注者の意思決定が硬直化していたことが課題だった。設計の提案にイエスというためには、組織内で意思決定をしなければならない。金を弾いてもうかるの、もうからないのとやっている間に、「それでは間に合わない」という話が返ってくる。

 施工予定者にも問題があったとみている。設計の提案に対してはノーという答えが多かった。「屋根工区」「スタンド工区」と2つに分けたのは日本側の意思決定だ。施工予定者は「間に合わない」と言っていたが、2社が融通し合えば、工期なんて間に合わないというほうがおかしい。建設会社同士で「JVを組むのは嫌だ」というのは施工側の都合。設計側としては1社の建設会社に引き受けてもらっても問題はなかった。課題を解決して、プロジェクトをなんとか実現しようという意思が感じられなかった。

 ザハ・ハディド事務所を悪者にしたがる。確かにザハ案は斬新なデザインであるし、ザハ・ハディドさんの風格が話題に上ったかもしれないが、ザハ・ハディド事務所は誠意を持って対応していた。

(写真:都築 雅人)
(写真:都築 雅人)
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――ザハ・ハディド事務所と設計JVはうまくコミュニケーションを取っていたのか。

内藤:設計JVとザハ・ハディド事務所の関係に対する問題は、あまり話題に上がらなかった。ザハ・ハディド事務所はデザイン監修者として、限りなく設計者に近い立場で仕事をしていた。監修者は図面を描かずにデザインにとどまる場合と、設計の細部に関わる場合があるが、新国立に関してザハ・ハディド事務所は後者だった。

 設計は順調に進んでいた。ただ、JSCや文部科学省、財務省が決めるコストの枠組みが曖昧だった。例えば、3000億円という試算が出ると、設計は頑張って減額案を作成する。もう一息、二息努力して納得のいく整備費まで落とそうとすると、またどこからか3000億円という数字が出てくる。

 設計が振り回されたのは特殊なデザインではない。世論だった。もっと安くつくれないのかという圧力があった。そのためには、条件を変えなければいけない。新しい整備計画が示した上限1550億円は目指すべき数字としては間違っていない。開閉屋根を諦めて、空調を辞めて、工期を1年延ばしてと条件も緩和された。ただ、それならばザハ案でもできた。

 コスト高の汚名を着せられてザハ・ハディド事務所は退場させられた。それは冤罪(えんざい)ではないかと思う。特定の個人を悪者にすれば分かりやすいが、客観性は失われてしまう。