ザハ・ハディド・アーキテクツはコンサルタントだった

――「監修者」の役割とは何か。

槇:ザハ・ハディド・アーキテクツはデザインのコンサルタントだった。しかし、「自分たちは設計者」との思いでやってきたように見える。法的な意味でも契約上も設計者は、日建設計・梓設計・日本設計・アラップ設計共同体(JV)だった。

 監修者と設計者が分かれたのは、日本の当事者が心配性だったためだろう。ザハ・ハディド案が選ばれたものの、期限通りに要件に合ったスタジアムができるかどうかは未知数だった。そこで、能力のありそうな日本の設計者の選定を行って4社のJVに決定された。

 監修者と設計者の役割をはっきりさせていなかった。募集要項にあったデザイン監修者の役割では「監修者は設計者が監修者のデザインの意図を十分に反映しているかについてチェックしていく責任がある」とある。監修者は必要な場合、設計者に設計を修正する提案が行えるものの、両者の権限の詳細は記述されていない。私はこうしたいい加減な要項については、いつか国際的な問題になると2年前から警告してきたのだ。

新国立競技場の問題点についてかねてから警鐘を鳴らしてきた(写真:日経アーキテクチュア、6月5日の会見で撮影)
新国立競技場の問題点についてかねてから警鐘を鳴らしてきた(写真:日経アーキテクチュア、6月5日の会見で撮影)
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――今回の「新国立」問題から何を教訓にすべきか。

槇:発注者の日本スポーツ振興センター(JSC)、監修者のザハ・ハディド・アーキテクツ、そして設計者の4社JVが義務や権利についてどのような契約関係にあったのかをはっきりさせるべきだ。それぞれの役割が分からない限り、その後のプロセスで何が起こったのかがはっきりしない。なぜコストは膨らんだか、真相がもやもやと霧の中だ。

 設計にはデザイン監修でザハ・ハディド・アーキテクツが14億7000万円、設計業務は4社JVが36億4648万円を使った。当然、4社JVは与えられた作業に対する対価を得ている。だが結局、デザインが白紙に戻った時点では、無益の行為となってしまった。本来、設計者は図面を引くだけでない。過去2年間の設計プロセスの中で適宜、コストや技術上の問題を発注者に報告し、時に適切な提言を行ってきたかはまったく定かではない。

 問題は2014年5月にかなり精度の高い基本設計とともに、施設規模も29万㎡から22万㎡に縮小した案が出た時だ。コンペ案では3000億円かかるという概算値が出たためにつくった修正案であったが、今となってみると1625億円(坪単価 約240万円)は、後の一般建設コストの上昇を考慮しても過小評価ではなかったかと思われる。

 この1625億円のより詳細なコストの分析結果が明らかにされるべきである。なぜならば、ザハ・ハディド・アーキテクツをはじめ当事者もこの案でいけると突き進んでしまい、破局を迎えることになってしまったからである。設計者もそのくらいでできると信じていたのだろうか。
 
 7月に「白紙に戻す」と決定したことに対し、国民のほとんどが喜んだ。しかしこれで彼らのデザインがご破算になるのではないかという危機感からザハ・ハディド氏は直接、安倍晋三首相に手紙を書き、その後も事務所は何回か彼らの立場からの声明文を出している。これらは十分理解できることである。

 しかし、日本側の設計者は悲しんでいるのか、喜んでいるのかまったく分らないまま、現状に対して沈黙を保っている。こんなことでよいのだろうか。社会に対して彼らは説明責任があるはずである。以上は、私の個人の意見というよりも多くの建築家、識者の気持ちを代表した意見であることとして了承していただきたい。