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新国立競技場問題にもの申す

ザハ・ハディドは日本的な曖昧さの犠牲者だった

発注者と監修者、設計者の役割分担の検証を

2015/11/27 00:00

江村 英哲

出典: ケンプラッツ、2015年9月16日
(記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります)

監修者と設計者の役割が曖昧だったと指摘する槇文彦氏(写真:日経アーキテクチュア)
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新国立競技場の整備計画について警鐘を鳴らし続けてきた建築家の槇文彦氏。デザインが責められる風潮に対し「ザハ・ハディド氏は犠牲者だった」と話す。明らかにすべきは、日本でしか通じない曖昧な役割分担にあると説く。(インタビューは、新国立競技場整備事業の公募に向けて、日建設計とザハ・ハディド事務所が設計チームを組成したと発表する前の8月26日に実施)

槇総合計画事務所代表
槇文彦(まき・ふみひこ)氏

1928年東京都生まれ。52年東京大学工学部建築学科卒業。米クランブルック美術学院およびハーバード大学大学院の修士課程を修了。スキッドモア・オーウィングズ・アンド・メリル、セルト・ジャクソン建築設計事務所、ワシントン大学のキャンパス・プランニング・オフィスに勤務。ワシントン大学とハーバード大学で都市デザインの准教授を務める。65年に帰国、槇総合計画事務所を設立。79年~89年は東京大学工学部建築学科教授として教壇に立つ。代表作に「スパイラル」(東京)、「ヒルサイドテラス」(東京)、「朱鷺メッセ / 新潟コンベンションセンター」(新潟県)など

――新国立競技場の整備計画が白紙撤回となった背景をどう捉えているか。

槇:ある意味においては、ザハ・ハディド氏は犠牲者だった。もともとデザインの要件となるプログラムが最初からおかしかったのだ。国際的なコンペを開催する場合、設定するプログラムが大切だ。新国立競技場の将来構想有識者会議では、神宮外苑の限られた土地に完全にオーバースケールの有蓋で8万人規模の多目的スタジアムをつくると、国民の知らないうちに決めた。その決定がコンペのプログラムの中核になってしまった。

 プログラム通りにデザインしなければ、コンペでは落選してしまう。ハディド氏の案が他のデザイン案に比べてよりコストがかかっていたのかもしれないが、プログラムに沿ったデザインで後から「お金がかかり過ぎる」と騒いでも仕方がなかった。

 2020年の夏季五輪が東京に決まる前の2013年8月、この問題を「JIA MAGAZINE」に投稿した。私はこの時点からプログラムに問題があると指摘してきたが、当時は誰も耳を貸さなかった。東京五輪の誘致はザハ・ハディド氏のデザイン案によって成功したという神話が流布したことで、新国立の整備計画に携わる当事者はプログラムの内容を綿密に検証しなかった。これだけ問題が噴出してようやく、白紙に戻すことができたのだ。

 そもそも、コンペは建物を整備する周囲にどのような歴史的背景があるかを理解していない人にも、分かるようにプログラムで説明しておく必要がある。新国立の国際コンペ(国際デザイン競技)では、そうした準備を一切していなかった。従って特に海外からの応募者はまったく理解することができなかった。日本人ならば神宮外苑という土地がどのような場所か、ある程度は配慮しながらデザインをすることは可能だった。しかし、海外の設計者は与えられた諸要件のみを満たす建物を設計したことになる。

 デザイン選考の審査委員会では、ザハ・ハディド案がJRの線路をまたいだデザインだった時点で、落選させることもできたはずだ。しかし、そうはならなかった。なぜそうした案が選ばれたかについては、審査員ではないので、私は語る立場にない。選ばれたザハ・ハディド氏は「設計者」ではなく「監修者」だ。私はこれまで15、16ほどの国際コンペの審査を受け持った経験があるが、監修者のみを選んだのは新国立競技場で初めてみた。

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