いまやトラッキングデータの活用は、多くのスポーツにおいてなくてはならないものになってきている。例えば米MLBでは、「STATCAST(スタットキャスト)」というトラッキングシステムを活用して非常に多くのデータを取得・分析している。これによって選手のパフォーマンスや戦術の構築に役立てることはもちろん、エンターテインメント的な面白さを提供することにも一役買っている。

 スタットキャストは今、野球だけではなく、他のスポーツでも導入が進められようとしている。「スポーツアナリティクスジャパン2017(以下、SAJ2017)」(主催:一般社団法人日本スポーツアナリスト協会、2017年12月2日)ではスタットキャストを開発したジョー・インゼリーロ氏(BAMTECH Media社・CTO)が登壇。スタットキャストがこれからどのようにスポーツの在り方を変えていくのか、その構想を語った。

野球に「革命」を起こすスタットキャスト

BAMTECH Media・CTO(最高技術責任者)のジョー・インゼリーロ氏。「スタットキャストを活用して情報を収集することで、ゲームに物語を創り出すことができる」と語った(写真:©︎Japan Sports Analyst Association)
BAMTECH Media・CTO(最高技術責任者)のジョー・インゼリーロ氏。「スタットキャストを活用して情報を収集することで、ゲームに物語を創り出すことができる」と語った(写真:©︎Japan Sports Analyst Association)
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 スタットキャストは、レーダーパネルというミサイルの追尾用に開発されたレーダーと光学カメラを用いて様々なデータを計測し、瞬時に数値化できるトラッキングシステムである。このシステムを活用することでボールの初速や角度、予測飛距離といった一次的な情報はもちろんのこと、データとデータを組み合わせることで、打者の体感速度や、野手がボールを捕球するまでに必要な移動距離、捕球できる確率といった、より複雑な二次情報も割り出すことができる。

 スタットキャストを用いて様々な情報を取得・分析することで、これまでの常識が覆った事例も出てきた。例えば野球ではボールを地面に叩きつけるようにバットを振る「ダウンスイング」が良いスイングとされていたが、打球の速度や角度、飛距離といったデータとヒットやホームランの関係性を見たところ、かつては悪いとされていた「アッパースイング」の方がヒットやホームランにつながりやすいことが分かったという。

 このように、野球に革命をもたらしたスタットキャストが試験導入されたのは2014年のことである。その翌年にはMLB所属チームの全球場に導入され、あっという間に野球界になくてはならないシステムとなった。この流れは今後、他のスポーツにも波及していくことになるだろう。

スタットキャストが取得できるデータの一例。ピッチャーが投げたボールの球速やリリースポイント、回転数などを計測。それらのデータを組み合わせることで、バッターがそのボールをどれだけのスピードに感じているのかという「体感速度」も割り出すことができる(図:BAMTECH Media社)
スタットキャストが取得できるデータの一例。ピッチャーが投げたボールの球速やリリースポイント、回転数などを計測。それらのデータを組み合わせることで、バッターがそのボールをどれだけのスピードに感じているのかという「体感速度」も割り出すことができる(図:BAMTECH Media社)
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赤外線カメラとAIで選手のダメージを可視化

 スタットキャストのように「データを可視化する」ことは、パフォーマンスやエンターテインメント性の向上だけではなく、スポーツにおける判定の正当性を証明するためにも有効である。その例としてインゼリーロ氏が紹介したのが、ボクシングにおける「選手のダメージを可視化する」取り組みだ。

 その実験は、2012年のマニー・パッキャオ選手とティモシー・ブラッドリー選手によるWBOウェルター級タイトルマッチで行われた。パッキャオ選手が優勢に試合を進めながらも判定が割れ、結果的にはブラッドリー選手が僅差で判定勝利。試合後に大いに物議が醸された試合である。

 この試合の判定の正当性を検証するためにインゼリーロ氏が用いたのは、赤外線カメラと人工知能(AI)だ。パンチを浴びると皮膚下で内出血が起こり、選手の体表温は下がる。赤外線カメラとAIによって選手の体表温を計測することで、内出血が起こっている部分を可視化するというのである。

選手のダメージを可視化したもの。いずれの写真も左がブラッドリー選手で右がパッキャオ選手。赤は体温が高い(=ダメージを受けていない)箇所であり、黄色や緑は体温が低い(=ダメージを受けて皮膚下で内出血を起こしている)箇所を意味している。ブラッドリー選手は広範囲に渡って内出血を起こしていることが分かる。この取り組みは、この日世界で初めて公開したという(図:BAMTECH Media社)
選手のダメージを可視化したもの。いずれの写真も左がブラッドリー選手で右がパッキャオ選手。赤は体温が高い(=ダメージを受けていない)箇所であり、黄色や緑は体温が低い(=ダメージを受けて皮膚下で内出血を起こしている)箇所を意味している。ブラッドリー選手は広範囲に渡って内出血を起こしていることが分かる。この取り組みは、この日世界で初めて公開したという(図:BAMTECH Media社)
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 「試合後、パッキャオ選手は“自分はダメージを受けていない”と話をしていました。実際に赤外線カメラで撮影した映像を見てみると、パッキャオ選手は1ラウンド目と12ラウンド目で体表温がほぼ均一であることがわかります。一方のブラッドリー選手は、12ラウンド目には胸部から腹部にかけて体表温が下がっている(色が黄色くなっている部分が、温度が低下している箇所)ことが分かります」(インゼリーロ氏)