「コース取り」の違いをコーチング
では、みちびきを含むマルチGNSSの活用は、スポーツ界にどのようなインパクトをもたらすのか。実証実験などから見えてきた“可能性”を紹介しよう。
期待できる応用には、(1)マラソンやランニングでの新しいコーチングやトレーニング、(2)トレイルランなど山岳スポーツの安全性の向上、(3)試合や練習での選手のトラッキングを通じた戦略構築への活用、(4)テニスなどで選手ごとのプレースタイルの分析を通じた最適なシューズ選定、などがある。
この分野で多くの知見を蓄積しているのが、内閣府の委託事業「スポーツ分野における宇宙関連新産業・新サービス創出に係わる調査」(2017年3月31日終了)を受託していたアシックスだ。同社は調査の一貫として、みちびき1号機を使ったスポーツトラッキングの実験を複数行った。
例えば、2016年11月20日に開催された神戸マラソンでは、スマートウオッチを用いた「リアルタイムコーチング」の実験をした。
トップレベルのランナーが、みちびきに対応した受信機を背負って走り、後続のランナーに走行軌跡の情報をリアルタイムに送信。スマートウオッチを着けた後続の一般ランナーは、「コース取り」を参考にできるというものだ。
通常のGPSデバイスでは、10m程度の誤差が出るためコース取りのデータを正確に取得できなかった。神戸マラソンの時期はみちびきが天頂付近におり、1m程度の誤差でデータを取得できたという。
レース後に約7.5km地点にある通称「鷹取シケイン」というS字コーナーのコース取りを分析した。2時間50分で走ったトップランナーは直線的にコース取りをして速度が一定だった。一方、5時間30分台のランナーは、カーブの内側に入る意識が強すぎて減速していた。シケインでの走行距離もトップランナーが1.2m短いことも分かった。
「トレイルランでの安全性向上に威力を発揮するかもしれない」。アシックスで測位技術のスポーツ活用などについて研究している、同社スポーツ工学研究所IoT担当マネジャーの坂本賢志氏は、トレイルランでの活用に期待を寄せる。
山の中のコースを駆け抜けるトレイルランは危険なスポーツで、ケガをする選手も多い。例えば、レース本番の前日に試走しても、その後、雨が降ると水たまりができ、それをレース中によけられなくてケガをすることもある。神戸マラソンの実験と同様、みちびき対応の受信機を着けたトップランナーが、コース取りを後続の一般ランナーに知らせるという使い方は“十分あり”と踏んでいる。
「ケガの予防」だけでなく「戦略分析」も
ここ数年、サッカーやラグビーなどの競技でGPSデバイスの活用が広がっている。GPSを使って選手の動きをトラッキングし、そのデータを蓄積してコンディションを管理したり、ケガのリスクを低減したりするのが目的である。
この市場をリードしているのがオーストラリアのCatapult(カタパルト)社で、同社の一部機種は既にマルチGNSSに対応している(GPSとGLONASSに対応、みちびきは非対応)。
ただし、現状では大半のデバイスがGPSのみを使っているため、トラッキングデータをもとにした戦略分析などには使えない。戦略分析には選手の位置関係の把握が重要になるが、GPSレベルの誤差では不十分なのだ。それが、みちびきを含むマルチGNSS対応になれば可能になる、との期待は大きい。
「スポーツ界では今、データを『取る』ことが主眼になっているが、本来はデータを処理し、可視化してコーチが意思決定や戦略分析に使えるようにすることが重要だ。マルチGNSSデバイスの普及は、そうした流れを促す」と、宇宙関連とスポーツ界の事情に詳しい、慶應義塾大学SDM研究科准教授の神武直彦氏は期待する。
慶應義塾体育会蹴球部(ラグビー部)では同氏の研究室のサポートの下、1万円程度で販売されている市販のマルチGNSSデバイス(スポーツ用ではない)で試合中の選手の走行距離や速度、加速度などのデータを取得。プレー速度を上げるために加速度データを活用したり、ディフェンスの状況確認にドローン空撮映像と選手のマルチGNSSのデータを合わせて分析したりしているという。
もちろん、スポーツの戦略分析ではカメラの映像から選手の動きをトラッキングするツールなどが使われているが、みちびきを含むマルチGNSS対応デバイスを使えば、映像からのデータ取得よりも精度が高くなる上、価格も安くなると見ている。