主観データの活用に残される課題

 平井氏、渡邊氏の話に共通しているのは、睡眠や疲労度など、選手本人にしか分からない「主観」をデータとして数値化し、活用している点だ。身長や体重、心拍数など目に見える客観的なデータとは対照的に、選手の主観だからこそ起こり得る問題点を、自社でコンディショニングシステムを運用する橋口氏はこう指摘する。

「選手の主観も重視されていると思うのですが、選手は正直に主観を述べるのでしょうか。不都合なことは言わない可能性もあるのでは」

 それに対し、油谷氏は次のように意見を述べた。

「数字が悪いと練習させてもらえない、試合に出してもらえない、といった心配をする選手も確かにいます。また、疲れているなど悪い数字が並ぶと『根性がないんじゃないか』などと言ってしまうスタッフもいます。そこは、やはり選手とコミュニケーションを取っていかなければいけません」

「本来であれば発展的な面白いデータが取れるのに、一気に陳腐化してしまいます。データは人の能力を評価するのではなく、現状のパフォーマンスを評価するもので、今の能力を100%引き出すために活用するものです。また、スポーツの場合は特に、安全面の担保も重要で、1人の事故はチーム全体に影響します。組織を守るという意味でも、データを正しく使うことが大切です」

 主観的データの質について、渡邊氏は米国での経験も踏まえ、「私が見てきた選手にはデータの必要性を感じていない選手も多くいました。データ活用の利便性や必要性はかなり高いと思いますが、私がいた現場はまだその前段階でした。彼らのキャリアは1~2年ではなく、伸ばそうと思えば10年、20年になります。それが彼らのためにもなりますし、球団にとっても利益になります。そこをどう分かってもらうか、そういった選手たちを教育するのに苦労しました。私たちが見えていない部分のデータの信頼性・確実性というのを共通認識として持たせるのは、かなり時間がかかるものですが、そこをクリアしない限り、データの質は上がらないと感じます」と話した。

 「データの活用」と聞くとデジタルで先進的なイメージを持ちやすいが、根本にある選手との信頼関係構築こそ、価値あるデータを取得するに重要な要素となる。

 平井氏は女性アスリートだからこそ起こり得る、データの活用・コンディショニングの課題について次のように話した。

「女性アスリートでは、月経周期とパフォーマンスとの関係性が出てきます。月経周期やそれに伴う諸症状を知ることで、早めに婦人科に行かせることができますし、それ以上にアスリート本人が自分の周期を知ることができます。どういう時にコンディションが下がりやすいのか、自分の体を自分自身がしっかりと知ってほしいですね。また、チームスタッフには男性が多いのですが、男性スタッフもそういった側面があることを、きちんと理解しておく必要があると思います。今日はいつもとパフォーマンスが違う、コンディションが悪い、その裏側に月経周期が関係していたとしても、選手はなかなか自ら言い出せません」

 データによって選手自身の課題や目標が具体化されれば、モチベーション向上にもつながる。選手が自らの状態を把握することと、パフォーマンスの関係性について油谷氏は「自分のことを知りたいと考える選手は、データの入力など練習前の段階で一手間かかることになります。しかし、伸びていく選手はそういったものを糧にしています。例えば、コメント欄に書く内容も、我々に見せるためというよりは、自分に対して書いているように感じます。自分のことをきちんと理解し、把握する。これは明らかにパフォーマンスにつながると思います」と意見を述べた。

スポーツアナリスト育成が急務

 データの活用によるコンディショニングが、将来的にどのような変化を遂げていくべきなのか。橋口氏は、3人のパネリストに意見を求めた。

「まずは怪我の予防やパフォーマンスのメンテナンスが、すごく大切だと思います。私は以前、1年間に起きた怪我を何千件と分析していたのですが、あまりにも因子が多すぎて、“メガデータ”になっていました。データに統一性を持たせて質を上げ、未来ある子供たちや現状を改善したいアスリートなど、自分たちの現場でどのように使っていくか。議論を重ね、実際に取り入れていくことが必要だと思います」(渡邊氏)

 平井氏と油谷氏からは、アナリスト育成による明確な役割分担が必要だという意見が出た。

「アスレチックトレーナーが選手のコンディションを管理していくというのは、非常に大きな役割の1つです。しかし、日々様々な業務を行う中で、データを集めて分析し、何が選手やコーチにとって必要なデータなのかを考える時間はなかなか取れず、大きな課題となっています。データをどれだけ取得したかではなく、どう使うのか。たくさんデバイスはありますが、それらを扱えるアナリストがもっと増え、現場で活躍していく未来を、私は非常に楽しみにしています」(平井氏)

「今ではツールやガジェットが増えましたが、私たちはこれらに置いていかれないよう、何ができるかは知っておくべきだと思います。しかし、自分で何でもかんでもやってしまうと、質の低下やヒューマンエラーにつながります。専門家がデータを蓄積、分析する。その結果を見て何をやっていくかが私の仕事だと思います」(油谷氏)

 コーチやトレーナーが本来の業務に専念するには、専門分野に精通したアナリストの育成が急務だ。これをなくしては、パフォーマンスの高度化が著しいスポーツ界で競争力を高めていくことは難しい。東京五輪・パラリンピックの開催を控える日本にとって、まさに喫緊の課題といえるだろう。