脳を鍛えてアスリートのパフォーマンスの向上を支援する新しいトレーニング法を確立する――。日本電信電話(NTT)は2017年1月、「スポーツ脳科学(Sports Brain Science:SBS)プロジェクト」を正式に発足した。これまでの実験室での脳科学研究に、練習や試合を含むリアルな状態での選手の計測結果を組み合わせて解析し、アスリートの脳内情報処理とパフォーマンスの関係性を明らかにする、これまでにない取り組みだ。上編に続いて、実験で得られた新たな知見などを紹介する。
「練習では調子が良かったのに、試合で緊張して実力を発揮できなかった」――。これはプロであれ、アマチュアであれ、どのアスリートにも起こり得る非常に悩ましい現象だ。しかも、本人がそれを自覚しても制御するのは難しい。緊張によって心拍数が上昇することは誰でも知っている。しかし、心拍数は運動そのものによっても上昇するため、実際、どの程度の影響があるのか、分かっていないことも多い。そこでNTTは、試合時のメンタル状態が引き起こす心拍数の上昇とパフォーマンスの関係を解明する実験に取り組んでいる。
心拍数が上がりすぎて「体が思うように動かない」
この実験では、着るだけで心拍数などを計測できる機能素材「hitoe(ヒトエ)」を活用する。練習でhitoeを組み込んだウエアを着た投手がピッチングし、hitoe電極で心拍を、ウエアに付属のトランスミッターに内蔵した加速度センサーで体幹部分の加速度を計測。加速度(運動強度)と心拍数から運動由来の心拍数を推定するモデルを作る。そして、実際の試合時にも同じウエアを着て心拍数と加速度を計測。上記の心拍推定モデルから、メンタルに起因する心拍数の変化分を抽出する。
下の図は、実際の試合で計測した、投手のメンタルに起因する心拍数の上昇分をグラフにしたものである。被験者はSBSプロジェクトのリーダーを務める、NTTコミュニケーション科学基礎研究所 上席特別研究員の柏野牧夫氏。横軸は時間、縦軸は運動量から予測される心拍数(baseline)と実測心拍数の差分(縦軸)である。 試合中は常に心拍数が上昇しているが、実際にピッチャーとして登板しているときは通常より60bpm(拍/分)も上昇し、最大心拍数は170bpmに達した。一般に最大心拍数の目安は「220マイナス年齢」なので、「身体が思うように動かない状態にあった」(同氏)と振り返る。このため、ピッチャーゴロを一塁に送球する際、練習ではほとんどしたことがないショートバウンドの送球をしてしまったという。さらに、通常は100km/h程度のボールを100球投げても疲れないのに、試合では20球強でヘロヘロの状態になった。同氏は、緊張による心拍数の上昇でエネルギーを消費したと推測している。今回の実験は、過度の緊張がパフォーマンスに悪影響を与えることを裏付けているわけだ。
SBSプロジェクトに協力している東京大学運動会硬式野球部の浜田一志監督は、「試合の前に、選手が緊張しているのが分かることがあるが、このようにデータの裏付けがあると『今日は緊張度が高いので、落ち着いてから登板させよう』など、勘に頼らない選手起用ができる」と話す。