「スタジアム・アリーナ改革」。2025年にスポーツ産業の市場規模を現状の約3倍の15.2兆円に拡大することを目指すスポーツ庁が、今、最も成長を期待している分野である。現状、国内のスタジアムやアリーナは“ビジネス”という観点で、スポーツ産業先進国の米国に大きく遅れを取っている。この分野で豊富な経験と知見を有するのが、世界300カ所のスタジアム・アリーナへのIT(情報技術)の導入・運用を手掛ける米シスコシステムズ社である。日本法人のシスコシステムズ合同会社専務執行役員戦略ソリューション・事業開発 兼 東京2020オリンピック・パラリンピック推進本部担当の鈴木和洋氏と、東京2020オリンピック・パラリンピック推進本部部長の赤西治氏に、米国のスタジアム・アリーナでのIT活用やビジネス戦略、国内のスタジアム・アリーナの現状や課題などを聞いた。前後編の2回に分けて紹介する。(聞き手=日経BP社デジタル編集部 内田 泰)

―― 日本のスポーツ産業成長の目玉とされている「スタジアム・アリーナ改革」ですが、その可能性をどう見ておられますか。

シスコシステムズ合同会社専務執行役員戦略ソリューション・事業開発 兼 東京2020オリンピック・パラリンピック推進本部担当の鈴木和洋氏
シスコシステムズ合同会社専務執行役員戦略ソリューション・事業開発 兼 東京2020オリンピック・パラリンピック推進本部担当の鈴木和洋氏

鈴木 単純に米国と日本のスポーツビジネスを比較できないとは思いますが、日本でもきちんと取り組めば“できる”と思っています。実際、この分野では日本は遅れている分、成長に対する米国本社の期待度は高いものがあります。本社から見て、日本市場のプライオリティーは高いです。

 米国にはこんな事例があります。人口が184万人(三重県と同程度)と全米38位の、中西部に位置するネブラスカ州は、はっきり言って“田舎”なんですが、アメリカンフットボールの強豪校ネブラスカ大学の試合は、毎試合が9万人の観衆で満席になります。同大学の「メモリアルスタジアム」はアメフトの試合だけでなく、複数のスポーツなど多目的に使えるようになっており、2014年の売り上げは9400万ドルもあります。これはJリーグでトップの売り上げを誇る、浦和レッズ(2016年度は約66億円)のそれを大きく上回っています。

 多くの人が「ネブラスカ州には他に娯楽がないからだろう」と言ったりしますが、米国の田舎にある大学がこれだけ稼げるのだから、日本でもきちんと工夫さえすればもっと良いビジネスを構築できるはずです。

―― メモリアルスタジアムでは、収益向上にITの導入が貢献しているのでしょうか。

鈴木 そうです。同スタジアムは、1994年に米国の大学として初めて大型ビジョンを導入するなど先進的な取り組みをしてきました。シスコ社はネットワークを含めたITの導入を担当しており、快適なネット接続環境を数万人規模の観客に提供する高密度スタジアムWi-Fiや、フィールドの試合の4K/HD映像を多数のサイネージや大型ビジョンなどに配信する「Cisco Vision」、観客のスマホやタブレットに試合の映像などを配信する「Cisco Vision Mobile」といったサービスを導入しています。

シスコ社がスタジアム・アリーナ向けに展開しているサービス。「Stadium Vision」「Stadium Vision Mobile」の名称は、2016年にそれぞれ「Cisco Vision」「Cisco Vision Mobile」に変更されている(図:シスコ社)
シスコ社がスタジアム・アリーナ向けに展開しているサービス。「Stadium Vision」「Stadium Vision Mobile」の名称は、2016年にそれぞれ「Cisco Vision」「Cisco Vision Mobile」に変更されている(図:シスコ社)
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 こうしたITサービスを導入しているのは、デジタル化によって観客に新しい体験を提供して収益機会を拡大するためです。「スタジアムに来る観客が何を望んでいるのか」についての米国のある調査によると、観客は常にWi-Fiでネットにつながり、試合の模様を写真や映像に撮ってTwitter(ツイッター)やInstagram(インスタグラム)に投稿し、さらにスマホで試合のリプレイ映像やスタッツをみたい、そうです。

 つまり、スタジアムはもはや観客が単に試合を見に来る場ではなく、「ファンに新しい体験を提供する場」になっています。米国では地方のスタジアムは「ボールパーク」として一日家族で遊べる場、ニューヨークでは商談などビジネスの場として活用されています。

 最近では、欧米のスポーツチームの収益の内訳は、チケットが60%、スポンサーシップ(広告、命名権)が20%、物販・飲食が17%、その他が3%となっています。スタジアム・アリーナのIT化によって、広告枠やファンへの直接的なコンタクトが増えるなど収益機会が拡大しています。

「持続的に成長」できるスタジアムへ

鈴木 これまでの日本のスポーツビジネスでは、「チーム強化→ファン増加→収益増加→強い選手の獲得でさらに強化」、という正のループを回すのが基本戦略でした。しかし、いったんチームが弱くなるとファンが減って負のスパイラルに入ってしまいます。実際、このようなパターンが多く見られました。

 これからのスポーツビジネスでは、単にチームを強くするだけでなく、スポーツを「エンターテインメント」と捉えて“感動体験”を与えることが重要になります。たとえチームが勝てなくなってもファンに来てもらえるような場を、ITを活用して創りましょうと我々は提唱しています。ITを活用すれば広告価値が高まり、さらに試合の映像やスタッツをスマホに配信してファンの満足度を高め、ITを通じて取得した試合や選手のデータをチーム力強化に生かすこともできます。そして収益が高まればITに再投資できます。こうした「持続的な成長」を実現するサイクルを作るのが我々の理想です。