メディアからも不可能といわれた2リーグの統合

―― 川淵さんは、「サッカー」「バスケ」といった特定の競技にこだわらず、「スポーツ界全体の発展」が口ぐせです。これは他のスポーツ協会の指導者にはない部分です。それはどのような思いからでしょうか。

川淵 Jリーグがスタートした当時、一番人気があったのはラグビーでした。そしてバスケットボールやバレーボールもプロ化しようかという動きがあったんです。だから実はもっと早くプロ化ができていてもおかしくなかったわけですが「プロ化してどう日本のバスケットボール界を変えていくのか」「世界にどう羽ばたくのか」、いろんな意味でビジョン、夢を描けなかった。

 日本はオリンピック至上主義だから(笑)。オリンピックに出られない競技は、日本の中では認められません。サッカーでいえば、ワールドカップですよね。もしサッカーがワールドカップに出場できていなければ、こんなに人気が継続することはあり得ないわけです。アジアの中でトップになって、オリンピックで活躍できるような選手を育て、チームをつくり上げていくためには、もうプロ化しかありません。

―― しかし、ここに至るまでには様々な困難がありました。特に2つのリーグの統合はメディアからも「不可能に近い」といわれました。

川淵 そうだね。バスケットボールはリーグが2つに分離していて、マスコミがこれに対して全く興味や関心を示さない。そりゃ当たり前なんです。「どっちのリーグが強いのか、弱いのか」すら分からない、地域に根ざしてプロらしいことをやっているのがbjリーグだけど、実力的には明らかにNBLの方が強いということも、世間の人は全く知らないわけです。

(写真:加藤 康)
(写真:加藤 康)
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 今回Bリーグができることで、男子バスケは強くなるに違いないと多くの人が期待してくれるようになるでしょう。女子代表はリオ五輪でベスト8でしたが、アメリカ以外と当たっていればメダルを獲れる可能性もあった。

 日本男子バスケットボールの日頃の練習法や指導者も、プロ化によって大きく変化していかなければなりません。そのことで日本代表が強化され、国民の多くにバスケットボールの選手名を覚えてもらえることにつながるんです。

 問題なのは、選手の名前をほとんどの人が知らないこと。1年ぐらい前にリサーチしたところ、唯一、田臥(勇太)を知っている人が3割くらいでね。他の選手は1〜2%なんです。これは悲劇的です。

―― 田臥選手は、本場のアメリカで活躍していましたからね。確かに、それ以外だと『スラムダンク』や『黒子のバスケ』といったマンガに出てくる登場人物の方が名前を認知されているかもしれません。

川淵 田臥は、僕らも能代工業高校の時代から知っています。能代工業は圧倒的に強くて、彼のパス、技術が際立っていましたよね。そして、観ていて面白かった。例えば、今は松井(啓十郎)のような3ポイントシュートをバンバンと入れる選手も結構いるのですが、ほとんど誰も知らないでしょう。今回のBリーグで、選手の名前を知ってもらうこと。これこそが、「自身の技をもっと鍛えなくちゃいけない」と選手が思うところにつながります。そこがプロ化の一番大きい効果でしょう。

企業名は出していい、しかし独立法人化しない限りは絶対ダメだ

―― 川淵さんは、Jリーグの初代チェアマンでもあります。Jリーグが始まった20年前と今回のBリーグ立ち上げでは経済環境やIT(情報技術)など取り巻く状況がずいぶんと違います。取り組みとして、あの頃とどこが変わりましたか。

川淵 サッカーをプロ化しようとした時は、まさにバブルの頂点でした。Jリーグがスタートした時にバブルが弾けたわけですが、Jリーグをスタートさせようと検討するのが2、3年遅れていたら、たぶんJリーグはなかったでしょう。

 先程も言いましたが、バスケットボールでは「全く異なる特徴を持った中身の違う2つのリーグをどう一緒にするか」が課題でした。10年間、いろいろな仲裁が行われてきたわけです。NBLは「企業が持っているチームが集まっていて、資金や実力があるリーグ」、bjリーグは「プロ化されているけれど、経済的になかなか厳しい、また実力的には明らかに外国人選手頼りのリーグ」でした。

 余程の強力なパワーが働かないかぎり、これらを1つにしようとすることは難しい。bjリーグはプロリーグとしてスタートして10年になるわけでしょ? 一方、NBLは企業チーム。この企業チームをプロ化する際に、僕が出した最初の条件は「企業名を出していい、ただし独立法人化しなければ絶対ダメだよ」ということでした。クラブが会社の中の1部門だと、独立採算としてどれくらいの利益を上げ、どれだけの活動をしてという中身が見えなくなります。

 一方、bjリーグは株式会社としてやっているんだけど、決して業績がいいわけではありません。課題は、そういう状況をNBLの企業チームに納得してもらうこと、そして企業名を出すことをbjリーグに納得してもらうことでした。そこが一つにするハードルだったわけだけど、僕は僕なりの判断で、最終的にはいい方向に進みました。