筆者は20代のときは、日本の企業で日本人技術者として働いた。30代から40代半ばまで、ミネソタ州の米国企業で日本国籍の外国人技術者として働いた。それ以降はシリコンバレーの米国企業で日本国籍の外国人として、ビジネスディベロップメントの職で働いている。国こそ違うが、多くの読者の方と同じように、ずっとサラリーマン人生を歩んできた。日本という技術立国を外から見続けてきており、高い個人生産性をもつシリコンバレーについての考えを連載の最後に述べたい。

 今回の連載記事では、事業の急速な立ち上げを期待されるシリコンバレーの企業では、個人の生産性が、世界的に見て突出して高いことを述べてきた。筆者は、何がこのような高い生産性を達成する要因になっているのかという点に、長年興味を持ち続けている。高い生産性を達成するための要素である、モノ、カネ、ヒトのなかで、ヒトの要素が大きな鍵ではないかと考えている。これが連載記事で、延々と筆者の同僚たちの日々の職場の風景を書いてきた理由である。

 高収入、高学歴、収入格差、人種国籍のばらつきという、統計値で表現される要素だけでなく、職場においての、創業者、技術者集団、およびビジネスディベロップメントという異なる職種の人々のかかわりかた、事業の急速立ち上げを行うための意思決定プロセスおよび実行プロセス、多様化しているヒトが構成する集団を運営するための組織運営のノウハウ、キャリアーアップをめざす競争社会の日常、個人のライフサイクルとキャリアー形成の折り合い、景気循環等による転職のリスクおよびその対処法等々、さまざまな要素が、高い生産性を作り出しているのは、疑う余地がない。

 一方で、日本での生産性の低さは、その改善が長年にわたり叫ばれ続けてきたように思う。日本の社会的構造基盤は、シリコンバレーのそれとは全く異なるため、同じ道で後追いするのは、意味がないと考える。むしろ、シリコンバレーとどのように付き合うのか、どのように利用していくのかという姿勢が、日本の製造業の生産性改善にとり、大きな意味を持ってくるだろう。