競技生活、長期化の影響
田中 なぜ、こうした考え方をEU(欧州連合)の国々が推進し、日本でもさらに広めていかなくてはならないのか。そこには2つの背景があります。1つは「技術の高度化」です。最近ではジュニア時代から難度が高い技術を課せられるようになり、結果としてけがが増えています。きちんと集中し、そしてメンタル面もフィジカル面もリカバリーができている選手でなければ、技術を習得するための練習はできません。要は試合だけでなく、練習でも難度が高くなったのです。それが2000年以降のスポーツです。私たちの時代は、そこまで「質的に」ハードではありませんでした。
2つめの背景が「ロンガー(より長く)」、つまり選手生命が延びたのです。これは功罪の「功」の側面ですが、医科学のサポートがしっかりしてきました。これによって致命的なけがが減るとともに、けがの予防対策も進歩しているので、昔より競技生活が長くなっています。
ここには「罪」の側面もあります。引退後の“次の人生”に対する準備期間が少なくなったのです。男性でも女性でも、35歳ぐらいまで競技人生を続けられるのはいいことですが、35歳で競技を引退したときに、同年代のビジネスパーソンと戦わなければならないのです。
35歳になって突然、既に14~15年のビジネスキャリアを持っている人たちと働くとなると、それはすごく大変なことです。だから、上手に「シナジー」をしながら、アスリートだからこそ得た「コンピテンシー」(職務や役割における効果的ないしは優れた行動に結果的に結びつく個人特性)を、きちんとビジネスにトランスファー(転用)するためのデュアルキャリアの視点が重要になったのです。
アスリートは、競技を真剣にやればやるほど、個々のアスリートならではのかけがえのないコンピテンシーを獲得します。そのコンピテンシーをしっかりと引退後のキャリアで生かせている事例を情報化することが重要です。例えば「どんなストレスをも逆境ととらえず順境ととらえて対処行動を建設的にできる力=逆境対処能力」などは、今後、もっと言語化していかなければいけないでしょう。アスリート目線で言語化すれば役立つものがたくさんあるので、デュアルキャリアのシステムの中から、それを社会に還元していくことが重要だと思います。
私には母親という立場もあります。高2の息子も中2の娘もスポーツを一生懸命やっています。母親としてもちろん応援していますが、同時に、競技を引退後の人生の方が長く続くことを、身を以て知っています。でも、多くのお母様方にメンタルトレーニングを依頼されますが、「絶対に息子をプロ選手にしたいので」というように競技人生のことだけ考えておられる方はまだまだ多いです。
神武 デュアルキャリアに関して、久木留さんとご一緒させていただいている委員会があります。デュアルキャリアというとスポーツ選手として頑張った後に、勉強をするためにスカラーシップ(奨学金)を提供するというアイデアを伺うことがあります。でも、田中さんが言ったように、アスリートは頭を使っていないのかというと、全然そんなことはありません。けがを予防して、相手に勝つためにはどうすればいいか。やはりトップ・オブ・トップのアスリートは、すごく考えています。結局試合をするのは自分ですから、そういう人が勝ち残ります。
例えばデータを扱うことについても、チーム関係者にデータを取ってもらい、分析結果を教えてもらうだけでは、データと導き出された結果との因果関係を理解できないことも多くなります。自分で考えられる人は理解が早いわけで、ビッグデータ時代にはそういう人が強くなります。こうした能力を身に着けておけば、競技を引退して35歳になっても、別の分野に挑戦したときに役立ってくるはずです。
このときのキーワードが「コンピテンシー」です。例えば、大学でも教室で教えられたことだけを一生懸命頑張っている学生が社会で役に立つかというと、必ずしもそうではありません。大学で十分なスキルや知識を得たけれど、国際舞台に出ていくと、スキルや知識ではその学生よりも劣るけれどリーダーシップを発揮できる外国人にすべてを仕切られてしまうこともよくあります。
私たちの大学では、そういうスキル、知識を超えたコンピテンシーを、どう自分で認識して伸ばすかにも取り組んでいます。この部分は、競技人生を終えて異なる分野で戦うアスリートにも共通して必要なことです。
つまり、フィジカルやゲームでのスキルを高めることだけがハイパフォーマンスセンターの役割ではなく、コンピテンシーやマインドも含めた育成・支援が必要だと思っています。
(次回「スポーツは知財発掘の宝庫、アジアに海外展開の勝機あり」に続く)