神武 5年後にハイパフォーマンスセンターがどのような姿になっているか、ビジョンを教えていただけますか。

久木留 5年後の姿として一番理想的なのは、国際オリンピック委員会(IOC)が認定する「スポーツ医科学センター」のような存在になることです。こうなれば世界と強固なネットワークを結べます。今、世界にはこうした施設が10カ所程度あります。ロンドン五輪が終わった後も、ロンドン市内と、私が留学していたラフバラ大学という中部の大学内に、IOC認定の医科学センターができました。

 私が今、日本の政府機関に働きかけているものの一つが、IOC認定の医科学センターと、IPC(国際パラリンピック委員会)認定の医科学センターの設立です。五輪・パラリンピック一体の認定センターとして設置され、それがレガシーに(遺産)なればいいと思います。そこから障害者スポーツにも波及していくし、クラス分け(障害の度合い、部位等によって出場できる競技・種目が決まる)にも波及していくし、学校スポーツにも波及していくからです。

 JSCのハイパフォーマンスセンターは、アジアでNo.1、そして世界でもトップクラスになることを掲げています。上記の青写真が現実のものとなれば、この目標を達成できます。

トップアスリートから社会へ波及

久木留 こうした青写真に対して、読者の中には「要はトップアスリートの強化だけの話だろう」と考える方もいるかもしれません。しかし、決してトップアスリートに閉じた話ではありません。アスリートの人生は、競技生活の後もずっと続きます。ハイパフォーマンスセンターが提供する情報は、トップアスリートがロールモデルとなって子供たちにも伝えられます。

 そして学校教育、ビジネス界、街づくりなどにも波及していきます。ハイパフォーマンスセンターを軸に世界とのネットワークを構築できれば、その効果は大きいはずです。

神武 波及という意味では、ハイパフォーマンスセンターでトップアスリートを対象に身体状態や運動時のパフォーマンスを計測したり、トレーニング方法などを体系化したりすれば、そこで得た知見はアマチュアの選手やスポーツ愛好家などに転用できると思います。例えばトップアスリートでは測定点が100個あるところを、スポーツ愛好家向けでは10個に減らすことで対応できます。

 もちろん、こうした波及効果はボトムアップでは期待できません。トップアスリートに直に接するハイパフォーマンスセンターが「ベストプラクティス」、つまり最高のものを作り、それを下に波及させていく必要があります。

 今、スポーツ界を見渡すとサッカーでは47都道府県にきちんと協会が設置されているなど組織化されていますが、多くのスポーツではそれぞれ“個人任せ”のような状況になっています。そこで選手のけがの予防やコンディショニング管理などについて、ハイパフォーマンスセンターがデータを蓄積・解析し、それを社会に還元する。コンピューターで言えばOS(オペレーティングシステム)のような存在になれる気がしています。

「デュアルキャリア=バランス」ではない

久木留 田中さんはジュニア時代からシンクロナイズドスイミングを始めて、オリンピアンにまでなられました。当時はハイパフォーマンスセンターのようなものはなかったと思いますが、こうした施設に対する期待や懸念についてお話いただけますか。

田中 私が引退したのは28年前、1988年のソウル五輪後です。大学4年生でした。1980年代に青春時代を送っていたわけですが、当時を振り返ってこれがあればよかったと思うのは「情報の一元化」と「選択の自由」です。特に私は女性ですから、まだ当時は女性でスポーツを本気ですること自体に、すごく制限がかかる時代でした。実際、行きたい大学に行かせてもらえなかった。それが勉強のせいではなく、学業成績では合格ラインだったのに「スポーツを真剣にしているから行けない」という“不思議”なことがありました。

田中ウルヴェ京(たなか・うるう゛ぇ・みやこ)。ポリゴン 代表取締役。1967年東京生まれ。1988年にソウル五輪シンクロ・デュエットで銅メダル獲得。10年間の日米仏の代表チームコーチ業とともに、6年半の米国大学院留学で修士取得。現在、学術研究者・経営者の両面の顔を持つメンタルトレーナーとして活躍中。様々な大学で客員教授として教鞭をとる傍ら、慶應義塾大学大学院SDM研究科博士課程に在学中。2001年に起業し、アスリートからビジネスパーソンなど広く一般にメンタルトレーニングを指導(写真:加藤康)
田中ウルヴェ京(たなか・うるう゛ぇ・みやこ)。ポリゴン 代表取締役。1967年東京生まれ。1988年にソウル五輪シンクロ・デュエットで銅メダル獲得。10年間の日米仏の代表チームコーチ業とともに、6年半の米国大学院留学で修士取得。現在、学術研究者・経営者の両面の顔を持つメンタルトレーナーとして活躍中。様々な大学で客員教授として教鞭をとる傍ら、慶應義塾大学大学院SDM研究科博士課程に在学中。2001年に起業し、アスリートからビジネスパーソンなど広く一般にメンタルトレーニングを指導(写真:加藤康)
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 「スポーツを本気でやっていることが、実は勉強にも生かされている」という、今では当たり前のデュアルキャリアの考え方が当時もあれば、勉強と競技を切り離して考えることはなかったと思います。

 今から思えば、自分自身で勝手な思い込みをして「こういう行動をすべきではないからやめよう」ということも多かったです。別にコーチから「合宿中に勉強をしてはいけない」と言われることなどなかった。当時のコーチも「勉強は大事だ」というスタンスであったと思います。

 でも、「スポーツ選手が一流になるためには『極める』ことが大事で、勉強も競技もとなると、『二兎を追うもの・・・』になりかねない」という考えが自分にあったと思います。「国内外オリンピアンのキャリアパスに関するデータベース」や、もっと言えば「国内外の大学での文武両道事例の情報一元化」などがあれば、自分にとって刺激になったかもしれません。当然、その上で大学を選ぶ際の男女平等の「選択の自由」があれば違っていたと思います。

 ただ反面、「自由を獲得する」ことは、自分自身の人生に責任を持つことです。自由と責任の両方を持つという「覚悟」は、とても厳しい現実を自分に課すこと、それこそ人生の主体性です。その意識を、若いときから「感じる」きっかけを作れるという点で、デュアルキャリアの考え方はとても重要だと思っています。

 デュアルキャリアは「上手にバランスを取ること」のように解釈されることがあります。勉強も競技も両方、同時に“半々で”やるみたいな・・・。そうすると、当然、競技に必死な代表監督や選手は、「そんなことをやっていたら勝てないじゃないか」と言ったりします。

 実は、デュアルキャリアで大事なのはバランスではなく「シナジー」です。つまり、勉強をしているときに得られる力と、スポーツで得られる力は相乗効果があるということ、その「意識」です。例えば「集中力」「マネジメント」「論理性」。数学で得られる論理性は、シンクロだったら振り付けの組み立て方に求められます。国際大会に出場したときに英語がうまくしゃべれなくても、世界史を知っていれば海外の選手たちと話が盛り上がり、英語を真剣に勉強するきっかけになるかも知れません。

 スポーツをやることは、実は勉強にも役立つ。そのこと自体がまさにデュアルキャリアという考え方の基本です。本来、人生の先輩である過去のオリンピアンの方々には、そういう意識の高い日本人の先輩も多かったはずです。