1998年に長野県で開催された冬季五輪。20年近い時を経た今、そのレガシー(遺産)が街づくりのために活かされ始めている。カーリングを軸に「地域スポーツの発展を通して軽井沢を元気にする」ことを目指して活動する、スポーツコミュニティ軽井沢クラブ(SC軽井沢クラブ)の取り組みだ。同クラブ専務理事の小崎陽一郎氏が、2017年3月8〜10日に開催されたイベント「ヘルスケア&スポーツ 街づくりEXPO2017」(主催:日本経済新聞社、日経BP社)で語った「オリンピックレガシーの地域への貢献」について、談話形式でお伝えする。
SC軽井沢クラブの専務理事・小崎陽一郎氏
SC軽井沢クラブの専務理事・小崎陽一郎氏
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 カーリングは子供から大人、そして車いすの方も同じフィールドで楽しめるユニバーサルなスポーツです。同時に、非常に集中力を要し、高い技術と戦術で競い合うスリリングなスポーツで、「氷上のチェス」とも言われます。

 カーリングがオリンピックの正式種目になったのは1998年の長野オリンピックからです。このとき会場となったのが、私たちの地元である長野県の軽井沢町です。私たちSC軽井沢クラブは、その軽井沢町を拠点とする総合型地域スポーツクラブです。我々はスポーツを通して軽井沢という町を元気にするという理念のもと、(1)ユニバーサルなスポーツ社会を実現する、(2)スポーツを通して子どもたちの健全育成を図る、(3)シニア世代の健康を維持する、(4)軽井沢からトップアスリートを輩出する、(5)スポーツツーリズムを推進し、軽井沢町の観光活性に寄与する、という5つのミッションを達成するために活動をしています。

 こうしたミッションの達成のために、カーリングを軸に活動をしてきたわけですが、これまで幾つかのターニングポイントを経てきました。本日は、そのターニングポイントと、SC軽井沢クラブがどのように地域の発展に寄与してきたかをお話したいと思います。

町ぐるみで選手を支え、世界を目指す

 SC軽井沢クラブは、長野オリンピックから6年後の2004年にNPO法人として設立されました。翌2005年から男子カーリングチームが始動しました。そして2007年、両角友佑選手と山口剛史選手という2人の選手をクラブ職員として採用したのですが、これが私たちにとって第1のターニングポイントでした。

 当時、彼らはまだ23歳という若さでしたが、オリンピックを見据えて活動するトップレベルの選手でした。カーリングは1チーム4人で競うスポーツで、両角選手、山口選手以外の2人も軽井沢の地元企業で働いています。カーリングに限らず、アスリートには就職に際して競技活動を諦めなければならないという現実が多くあります。しかし、このように地域と連携して選手を支えることで、選手が安心して競技に取り組むことができます。それは同時に、軽井沢という町が一体となり、世界を目指していこうという意思表示にもなるのです。

 SC軽井沢クラブの男子カーリングチームは、2007年には日本選手権で初優勝、2017年には日本選手権5連覇を達成しました。今では日本カーリング界をけん引するチームとなっており、2018年の平昌オリンピックへの出場を目指して戦っています*1

*1 SC軽井沢クラブは2017年4月8日、韓国で2018年2月に開催される平昌オリンピックへの出場が決定した。
NPOとしての歩みと男子カーリングチームのこれまでの主な戦績。男子カーリングチームは2013年~2017年の5連覇を含み、日本選手権で8度の優勝を誇っている
NPOとしての歩みと男子カーリングチームのこれまでの主な戦績。男子カーリングチームは2013年~2017年の5連覇を含み、日本選手権で8度の優勝を誇っている
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