前回に引き続き、携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」の開発に焦点を当てる。任天堂にとって、ゲーム&ウォッチの開発に必要だったのが、液晶とマイコンの利用技術だった。そこで、シャープを口説き落とし、共同開発のパートナとした。こうして、1980年に商品化にこぎ着ける。以後、約70種の製品を市場に投入した。販売台数は合計で4800万を超えることになる。品種展開のなかで、後にファミコンにもそのまま採用されることになる十字ボタンが登場する。

(記事の原題は、「試行錯誤のなかから十字ボタンを見いだす~ファミコンはこうして生まれた【第5回】)

ソフトを決めた上でハードを開発

 携帯型ゲーム機「ゲーム&ウォッチ」は、製造本部開発第一部部長(現職)の横井軍平(敬称略、以下同)が、新幹線の車中で、電卓で遊ぶサラリーマンを見て、「大人が人知れず車中に持ち込んで楽しめる小さなゲーム機」を思い立った。

 この製品の具体化に向け、技術を担当したのが製造本部 開発技術部部長(現職)の岡田智である。新しいゲーム機作りが大好きな岡田は、液晶ディスプレイと電卓用マイコンの採用を決める。

 2人は、ゲーム機上でプレイするゲーム・ソフトを決めたうえで、ゲーム機のハードウエアの開発を始めたのである。まず、ゲームのシミュレーションを考えた。

 このため、板にゲームの画面の絵を書いて、光る部分をくり抜いた模型を作った(図1)。こうして板の裏に配置したランプを光らせる。ランプはコンピュータに接続されており、プログラムの指示でランプを点滅させる。岡田が模型を作り、模型上の絵は横井が描いた。コンピュータの画面上でゲームを実現する方法もあるが、これだとテレビ・ゲームとイメージが似てしまうのでやめた。

図1 手作りで試作した模型
図1 手作りで試作した模型
ゲーム&ウォッチ用のゲーム・ソフトのアイデアが出ると、板に絵を書いてくり抜いて穴をあけた模型を作る。実際に動かして、ゲームの内容を吟味する。ゲーム&ウォッチの開発時に「ボール・ゲーム」用に作ったのがきっかけで、この開発方法が定着した。
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 のちに、この模型はゲーム&ウォッチのソフトウエア開発ツールとして受け継がれることになる。「液晶に表示する画像パターンを描くと、ゲーム機を試作するのに数カ月かかるが、板を使った模型を利用すると2~3日で出来上がる」(岡田)からである。開発費用も安く抑えられる。