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 今回は、記憶の形成に大きな役割を果たす海馬(hippocampus)の機能の再現手法を解説します。海馬の生理学的な話は第9回で扱ったので、併せてご覧ください。

エピソード記憶を形成

 まず、海馬がどんな機能を担当しているのかを、おさらいしておきましょう。大きく分けると、エピソード記憶と自己位置推定の2つが挙げられます。特に前者のエピソード記憶については、昔からよく研究されています。

 海馬に障害がある患者には、前向性健忘(新しくものを覚えることができない)が見られます。前向性健忘になると、例えばある人に会って挨拶をしたり会話を交わしたりしている間は問題ないのですが、別れて10分ほど経って同じ人と顔を合わせても、また初めて出会ったかのように振る舞います。ちょっと前に会ったことを、全く覚えていないのです。年をとった自分の顔も覚えられないので、前向性健忘が生じて何年も経ってから鏡を見ると患者は困惑します。ただし、やはり10分ほど経つと、驚いていたこと自体も忘れてしまいます。

 このことは、海馬が新しい記憶の形成に欠かせないことを示しています。その他の様々な知見から、脳が得た情報は大脳皮質を経由してからいったん海馬に貯蔵され、その後「これはずっと覚えておくべきだ」と判断されたものだけが、少しずつ時間を掛けて、また大脳皮質に保存されるといわれています。海馬を失った患者でも大脳皮質に問題がなければ、昔の記憶は失われないわけです。なお、海馬を損傷した患者に、ある程度の逆行性健忘(過去の出来事を思い出せない)が見られる場合もあります。