糖尿病を専門としつつ、在宅医療支援やEHR(Electronic Health Record)運用、生活モデルに即した患者支援の仕組みづくりなどを、埼玉県を舞台に進めてきました。データヘルスや地域連携パスなどに取り組んできた経験から言えば、患者の疾病管理におけるIT活用の効果は確かに大きい。社会保障費の問題に貢献し得ることは実証できました。

東埼玉総合病院 地域糖尿病センター センター長の中野智紀氏(写真:加藤康、以下同) 
東埼玉総合病院 地域糖尿病センター センター長の中野智紀氏(写真:加藤康、以下同) 
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 問題は、それぞれの患者の生活の複雑さに対応できるかどうかです。これまでの多くのアプローチは、IT活用などをうたいながらも、実は患者が抱える問題の一部にしか光を当てていない懸念があります。例えば、腎臓病のリスクを見いだし介入しようとしたとき、そこに力を込めようとすればするほど、患者の生活を全体として壊してしまうリスクがある。それぞれの患者の生活の価値、という視点が抜け落ちてしまうのです。

 国家レベルでの貧困や感染症。これらが社会の大きな問題だった時代には、問題をシンプルにとらえ、それに対して手を打つ社会保障が有効でした。でも今は、国民それぞれが抱える問題が多様化し複雑化しています。シンプルに設計された社会保障はもはや通用しません。

 こうした問題の複雑さに目を配ることなく、ただ社会保障費の削減を目的化してしまうと、かえって社会保障費を増大させたり、社会全体を不安定化させたりするリスクがある。そう私は考えています。

 ITやAI(人工知能)は、それが国民一人ひとりの利益や生活の価値のために使われなければ、社会の本質的な効率化には結びつかない。ITやAIの活用を考えるとき、そのことに自覚的でなければならないと思います。逆に言えば、国民一人ひとりの個別性、問題の複雑さに対応するためにこそITやAIを活用すべきでしょう。

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 医療・健康・介護を支える社会資源にはさまざまなものが存在しますが、個々人が抱える問題にうまくアプローチできていない。一般の人から見て制度が複雑で使いにくいので、社会資源の活用の仕方が分からないわけです。さまざまな社会保障制度が自分のために存在するという実感が国民に乏しいのも、そのせいではないでしょうか。制度という枠組みを使うのであれば、その窓口はIT化してアクセスしやすくした方がいい。そういう議論が出てきても良さそうですが、なかなか出てきません。

 社会全体の安定化が、さまざまな仕組みづくりの本質的な目的であるということ。そして国民一人ひとりの生活の価値に立ち返った議論をすることを忘れてはいけないと思います(談)。