ここまで、コンサルタントやエコノミストは、ビジネスや企業の本質を分かっていないと述べてきた。しかし、ビジネスや企業の本質を分かっていないのは、彼らだけではない。

 繰り返すが、価値の本質がまだ解明されていないということは、人類は、「顧客価値を提供すること」であるビジネスの本質も、「ビジネスマン(ビジネスを行う人間)の集まり」である企業の本質も分かっていないということだ。だから、経営者もビジネスや企業の本質を分かっていない。

経営の結果は、良くても悪くてもたまたまなのだ

 ならば、経営者も、ビジネスや企業について、本質(事物の普遍的な特徴)以外の属性である偶有性(個別の事物にたまたま当てはまる属性)に準じる考えしか持つことができない。

 しかし、本質に準じる考えが、普遍的に(いつも)良い結果を生む経営判断の基準となるのに対して、偶有性に準じる考えは、そうならない。それを基準とする経営判断は、文字通り、偶有的に(たまたま)良い結果を生んだり悪い結果を生んだりするだけだ。そして、経営判断の主要な基準となるのがビジネスや企業についての考えである。だから、ビジネスや企業について偶有性に準じた考えしか持てない経営者の経営判断は、総じて、たまたま良い結果を生んだり悪い結果を生んだりするだけのものとなる。

 しかも、自然科学における事物の本質がそうであるように、本質に準じる考えがどう見ても正しいと言えるものであるのに対して、偶有性に準じる考えは、見方によっては正しくもなるし誤りにもなるものである。

 だから、偶有性に準じる考えに基づいて日々経営判断を下さねばならない経営者は、いたずらに苦しむことになる。他方、企業内の経営者の間では、本質という土俵ではなく偶有性という場外で、ああでもないこうでもないと、自説の「正しさ」ではなく「もっともらしさ」を競う乱闘が繰り広げられることにもなる。そこに、自分のスポンサーである経営者の説の「もっともらしさ」を上げんとするコンサルタントが参戦しようものなら、大変だ。皆で「くんずほぐれつ」の大乱闘になる。「顧客価値を提供すること」がビジネスの本質であるにも関わらず、そんな顧客価値を生まない事柄に、経営者の時間と会社のお金が大量に費やされてしまう。

 さらに、こうした「正解のない」の世界は、依存とズルの温床となる。ゆえに、しばしば、経営者は、米国流の仕組みや手法、企業の所有者とされる株主の意向に依存する。また、手段を選ばず「もっともらしさ」を演出できるズルイ人間が経営者となる。米国流のコーポレートガバナンスの仕組みを早期に導入した東芝の経営者たちが、今回の粉飾決算の会見で「『株主をはじめとする』関係者に」と言って詫びていたのは、まさにこのことを象徴するものだ。

 ちなみに、世の中では、これまでも(元)経営者やコンサルタント、エコノミストなどがコーポレートガバナンスの仕組みや手法について「くんずほぐれつ」議論してきたが、いつになっても実効性のあるものは出て来ない。議論が「正しさ」ではなく「もっともらしさ」を競うものであるから、なるべくしてそうなっている。

 「ビジネスマンの集まり」を本質とする企業の問題は、根本的に仕組みや手法ではなく人間の問題である。だから、ガバナンスの問題もそうなのだ。仕組みや手法のことばかり言っていて、ガバナンス問題を解決することなどできるわけがない。