前回まで、3回にわたってサーフェスのテクノロジーについてお届けいたしました。サーフェスの発展が、陸上競技の記録の向上に必要不可欠であったことと、さらにそこへ日本が深く関わっていたことなど、新たな認識を得ることができました。

 ただ、執筆の過程で感じた矛盾が1つありました。第9回第11回(陸上競技のテクノロジー)で解説しましたように、陸上競技には昔から詳細なルールがあり、それは公平性を飽くことなく追求した結果であるとみることができます。しかし、その競技を行う競技場のサーフェスには、1999年まできちんとした規定が無かったのです。

 素人考えで極論かもしれませんが、例えばテニスならば、サーフェスコンディションが悪くても対戦相手同士お互いさまで、それなりに公平性が保たれるように思います。しかし陸上競技では、1つの競技会で誰が勝ったか負けたかとは別に、記録により選手の優劣を判断するという別の重要な側面があります。コンディションの悪い競技会に出場した選手はみな同じ条件だから平等で仕方ないでは済まされず、よりサーフェスのルールが重要になってくるのではないでしょうか。

サーフェスのマジックを生んだ日本のマインド

現在のロラン・ギャロ
現在のロラン・ギャロ
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 サーフェスの発展に関しては、第12回第13回に“2つのマジック”を紹介しました。物語の全ての始まりであるパリ、ロランギャロのアンツーカコートで降雨による水たまりがウソのように消えたマジック(第12回)。それを見て驚き感激し、そのネタを日本に持ち帰り、その36年後にそれ以上のマジックをオリンピックという大舞台で披露し、世界をあっと言わせた、日本人の努力のストーリーでした(第13回)。

 この執念にも似た日本のものづくりの努力が大きな果実を結んでいく過程を、本コラムではこれまでサーフェス以外のテーマについてもお伝えしてきましたが、これらのエピソードは日本のマインドと技術開発の実力を如実に示していると思います。日頃の研究活動でやや雲をつかむような話に接することの多い筆者は、取材でこれらの現実の成果に触れるたびに、大いに鼓舞されております。「私もがんばろう、日本に生まれてよかった」と思わずにはいられません。

 また、アスリートのパフォーマンスをしている姿が少年少女に大きな影響を与えるものだと、改めて実感しました。取材に当たっては関係企業だけでなく、アスリートや一般人、さまざまな方の意見を伺います。1964年東京五輪当時、まだ子供だっだ現大学陸上部のコーチは、オリンピックのテレビ中継をみて、翌日から陸上競技を始めたそうです。

 それまで、陸上の競技会の様⼦をリアルな動画で⾒られる機会はありませんでした。ところがテレビを通して入ってくる東京オリンピックの競技風景は、例えば走ることがどんなに感動的ですばらしいのかを強い現実感とともに伝えてくれます。初めて見る光景にあまりに感動したそのコーチは、すぐ翌日から自分も走り出さずにはいられませんでした。

 テレビの偉業と言ってしまえばそうかもしれませんが、試合中のアスリートの動くナマの姿は多くの人に感動を与え、子どもたちには「自分もそうなりたい」という夢をプレゼントしたのです。それほど人を魅了する素晴らしさをスポーツが持っているということでしょう。

 最後にサーフェスのテクノロジーをまとめた一覧表をご覧ください。

 読者の皆さまが、後楽園球場や陸上競技場でスポーツ観戦をなさる時、⽇本の魂が威信をかけてアスリートのパフォーマスに貢献してきたこのストーリーをちょっとでも思い出していただけたなら、これ以上の幸せはありません。