──ゴミを吸い取る機能だと思います。大きな吸引力を、いかにコンパクトで静かな機構で実現するかが技術者の腕の見せ所ではないでしょうか。

安藤氏:それはあくまでも機能で、ユーザーの体験価値ではないですね。ユーザーはゴミを吸いたいのではなく、「きれいにしたい」、もっと言えば「清潔な環境で生活したい」のです。そのために掃除機を手段として使っているわけです。技術者は、機能=体験価値と考えがちで、「吸引力が高い方がよい」と考える傾向があります。この吸引力の向上は、作り手が考える「提供価値」に過ぎません。あるいは、作り手が押し付けているものかもしれません。「きれいにできる」「清潔な環境で生活できる」という顧客体験価値を見いだすことができれば、吸引力を高めるのではなく、ゴミを取り切ったらランプなどで「きれいになった」ことを示すゴミ取りセンサーを付けた方がよいかもしれません。

 炊飯器の事例はもっと分かりやすい。炊飯器では、かつて内釜の圧力を高めることが設計目標になっていました。しかし、内釜の圧力に価値を見いだす顧客がいるはずがありません。

 顧客体験価値を勘違いしてしまうのは技術者だけではありません。営業部門の社員にも言えることです。よくあるのが、新しい製品が出来たときに、製品が実現する体験価値をもっとも感じてくれる想定ユーザーではなく、買ってくれそうな顧客(多くの場合、既存の顧客)の所にセールスに行くことです。こうした顧客は、製品を買ってくれるのかもしれませんが、想定するユーザーとは異なる顧客なので、製品が実現する体験価値を十分に理解してもらえないことが起こります。そうした顧客では、製品のカスタマイズを要求することも少なくありません。カスタマイズには当然、お金も時間もかかりますから、これを繰り返せば自社が疲弊する上に利益も上がりません。多くの場合、失敗した製品としていずれ消えてしまいます。

 こうなるのは、日本企業には顧客体験価値に関する共通理解がないことが原因です。また、製品に関わる各部門が、バラバラに顧客体験価値を考えていることも問題です。これらの結果、顧客体験価値を捉えた製品を造ることができないというわけです。顧客体験価値を、製品づくりの「共通言語」になるよう、全社での取り組みが必要となるわけです。これに対し、米Apple社などは、顧客体験価値を社員全員が共通言語として理解していると感じます。

──UXデザインの成功事例を教えてください。

安藤氏:分かりやすい事例に、三和交通の「TURTLE TAXI (タートルタクシー)」があります。タートルとは「亀」のこと。つまり、ゆっくり走るタクシーサービスのことでう。従来は、タクシーの運転手は「早く目的地に届けること」がサービスだと考えていました。しかし、調査してみると、これが全ての顧客にとっての価値ではないことに気付いた。例えば、体調が優れない人や妊娠している人、疲れている人などは、「ゆったりと」「安心して」「快適に」乗ることに価値を見いだしていることが分かったのです。

 そこで、三和交通はゆっくり届けることと、早く届けることを両立するデザインを考えました。作ったのは、顧客がゆっくり走ることを望むときに押すボタンだけです。これにより、同社は自社の提供価値を見直したというわけです。

 三和交通のこのサービスは、自社の提供価値が顧客体験価値と本当に合致しているか否かを見直す必要性に気付かせてくれる良い事例だと思います。