戦後、日本の製造業は品質を重視する経営を推進し、高いグローバル競争力を実現して飛躍してきた。こうした日本の品質関連の取り組みを支えてきたのが「デミング賞」で知られる日本科学技術連盟(以下、日科技連)だ。日科技連では、全国の企業・組織が“クオリティ”に関する事例を発表する「クオリティフォーラム2017(品質経営総合大会)」(2017年11月14日~15日)を開催する。日経テクノロジーオンラインは、同フォーラムの開催に先立ち、登壇者のインタビュー記事を連載する。今回はNEC 執行役員常務(サプライチェーン統括ユニット担当)の大嶽充弘氏のインタビューをお届けする。(聞き手は中山 力、吉田 勝)

大嶽充弘(おおだけ のぶひろ)
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大嶽充弘(おおだけ のぶひろ)
1982年4月、日本電気入社。1992 年7 月にNEC USA社に出向し、1997年 5月に日本電気復帰。NECパーソナルプロダクツの資材部長、日本電気のソフトウエア資材部長を歴任し、2012年4月に同社執行役員に就任。2016年4月より現職。

 私は、2012年の執行役員就任後から品質を担当していますが、その年にNECの品質経営の歴史を調べ直しました。「品質管理シンポジウム(QCS)」に参加した際、日本科学技術連盟の方から、NECが品質経営のリーダーシップを発揮していた頃の話を聞いたのがきっかけです。

 2012年当時、NECからのQCS参加者はわずかで、どちらかというと勉強のために参加しているという感じでした。2000年頃までは関連会社も含めて7~8人は参加しており、なぜ、そのような事態になったのだろうか、と疑問に思わずにはいられなかったのです。

50年前から取り組みは始まっていた

 NECにおける品質管理の取り組みとしては、1965年に始めた「ZD活動」があります。ZDとは「Zero Defects」の略で、無欠点を目指そうというものです。これは社長に就任した小林宏治が、さまざまな経営改革の一環として、「単に欠点を除去するということだけではなく全ての社員の社業への参加意識を高める」ことを 目的に始めました。

 また、1972年には「クオリティ作戦」という活動が開始されました。これは、TQMのはしりともいえるもので、製品品質を向上させることをはるかに超えた、社会との関係や従業員の満足といったことに踏み込んで企業経営のクオリティーを上げていく活動です。1970年代以降のきたるべき低成長の時代を乗り越えるにはこうした取り組みが不可欠だという経営者の見識があったのです。

*1 具体的には、「マネジメント」「製品、サービス」「職場環境」「地域社会との関係」「人間のビヘイビヤ」「業績」「企業イメージ」の7つを挙げていた。

 そして、1981年には、ソフトウエアの品質と生産性を上げる「SWQC(Software Quality Control)」という活動が始まりました。すでに1965年にZD活動を始めていたわけですが、これには手ごわい相手がいました。それがソフトウエアです。当時の経営幹部は、ZD(無欠点)という概念だけでは通用しない時代が来たと苦心しました。そこで登場したのが「品質を追求しよう。生産性は後からついてくる」というスローガンの下に始めたSWQCです。

 このように、製品品質を超えたクオリティを目指したり、ソフトウエア品質に取り組んだりと、NECはかなり先端的な品質経営を行っていました。ところが私が品質担当の執行役員となった2012年頃は様相が異なり、社会ソリューション事業にとっての品質とは何かを模索していました。