ハロハロホームのファウンダー・鈴木廣政氏と、アクトプロの新谷学社長をゲストに迎えた鼎談の後半は、前回紹介した鈴木氏と同じくジェットコースターのように急転直下を味わって這い上がってきた新谷氏の起業人生へ。イケイケでのした20代前半、大ゴケして負った負債解消のために新天地を求め、海外を駆け巡った日々。破天荒なトライアル&エラーの中でたどり着いた、現在の事業のこれから。広く世界を駆け巡る3人のトークは、さらに日本企業のあり方、地方企業のあるべき姿勢にもおよんでいく。
左から新谷氏、鈴木氏(写真:加藤 康)
左から新谷氏、鈴木氏(写真:加藤 康)
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三反田 鈴木さんが現在に至るまでの話、いいですね。どうですか、新谷さん、話しやすくなったんじゃないですか。

新谷 そうですね。さて、どれくらいさかのぼって話せばいいのかな。

 僕が起業しようと思ったのは中学生のころでした。家庭環境が結構ぐちゃぐちゃで、父親からの虐待がひどかった。今ならニュースになっているような話なんですけど、たまたま死ななかった、そんな感じだったと思います。だから小さいころから自分で周りの環境をコントロールしなければ生きていくことができなかったんです。

三反田 なるほど。すごい状況だったんですね。

新谷 家庭がそんな状況だったので、学校では解放された気持ちで過ごすことができました。小学3年生で転校したとき、ちょっとキャラを変えようと思いまして。当時はやっていた人気マンガ『ジョジョの奇妙な冒険』の空条承太郎がカッコイイなと思っていたので、彼の無言実行型のクールな雰囲気でいこうと決めました。ややおとなしめだけどちょっとアウトローみたいな(笑)。中学の途中からは年を偽ってアルバイトとかもしていたくらいで、実年齢よりもかなり老けて見えましたし。

三反田 かなり老けて(笑)。

新谷 中学で既に二十歳くらいに(笑)。おかげでいろいろなアルバイトを経験できたし、人より早く社会に触れることができました。その後、高校なんて行く意味がないと私は思っていたんですが、近くの進学校に受かってしまい、母に高校は出ておけと懇願されて入学してしまいました。

 入学はしましたが、結局やる気がなくて授業も出ずに麻雀ばかりして、テストも適当にやり過ごしていたら高校2年で留年が確定(笑)。それでもう辞めることにしました。そもそも学費も自分で払っていましたから。そうしましたら、校長先生に呼び出されまして「新谷くん、高校を中退するということはこの先の君の人生にずっと付いて回って……云々」というような説教をするんですよ。「いや、僕は別に構わないし、高校に通う時間の方がもったいないんです」と答えたら、「じゃあ、ぶっちゃけて言うわ。俺が校長の間は辞めないでくれ」と(笑)。来年定年になるからそれまで待ってくれ…。

三反田 その先生もすごいな(笑)。でも辞めたんでしょ?