ひょんころビジネスとは…
新事業に計画は欠かせない。だが、計画通りに進む新事業など皆無。むしろ、ひょんなことから思わぬ方向に転がり、成長するものがほとんどではないか。そんなビジネスを「ひょんころビジネス」と名付けてみた。

 スマートフォンから電気自動車に至るまで、私たちの生活に欠かせないリチウムイオン二次電池─。この電池に関連する開発で直面する課題を解決し続け、リチウムイオン二次電池の急速な普及を支えてきた企業が、東洋システムだ。

 電池の試験装置から始まった同社の事業は、顧客企業の〝困った〟に向き合ううちに、電池パックの設計・生産に広がり、安全性試験やガス分析の受託評価など多岐にわたるようになった。今や同社がいなければ、次世代自動車の新製品開発に遅れが生じると業界ではささやかれているほどだ。電池の試験装置に目を着けて起業し、今日に至るまでどのような変遷を経てきたのか、同社代表取締役の庄司秀樹氏に聞いた。
(聞き手は狩集 浩志)

─―なぜ二次電池の試験装置に注目したのか。

東洋システム 代表取締役の庄司秀樹氏(写真:菊池 斉)
東洋システム 代表取締役の庄司秀樹氏(写真:菊池 斉)

 きっかけは、1985年にNTTが発売した初の携帯型電話機「ショルダーホン」だ。携帯とはいっても肩に掛けて使うタイプで重さは3キロ。なぜ、こんなに大きいんだと…。私はアマチュア無線の愛好家だったので、トランシーバーの方がずっと小型化していることを知っていた。当時、計測器関連の会社に勤めていた私は居ても立ってもいられず、NTTの研究所を訪問してしまう。そこで、携帯電話機の小型化を律速する技術要素が電池と半導体ということを知る。電池は〝生き物〟で温度などの周辺環境によって特性が大きく異なる。そのことをきちんと測れる計測器がなく、困っているというのだ。

 それならば電池の計測器を開発しようと思い立った。だが、当時勤めていた会社は、成長分野の半導体と液晶パネルの事業に注力することになり、自ら起業を決意する。当初は地元いわき市にある電池メーカーからの仕事をもらいながら、それだけでは食べていけないので電気工事などをこなす日々。1日20時間働く生活を2年間ほど続けていたら、体を壊して入院してしまった。病院のベッドの上で「このままの仕事のやり方ではダメだ。すべての電池メーカーが欲しがるような計測器を作らなければ」と決意した。

 退院後、電池メーカーのニーズをとにかく聞いて回った。その結果を基に開発した製品が二次電池の充放電試験装置だった。試験制御用のコンピューターと、電池に負荷をかける装置などをすべて一体化した。これを1992年に開催された電池の国際学会で展示したところ、大手電池メーカーから好評を得た。これによって、事業としての大きな一歩を踏み出すことができた。

いわき市にある東洋システム本社(写真:菊池 斉)
いわき市にある東洋システム本社(写真:菊池 斉)
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 その後、携帯電話機の普及とともに、今度は電池を使う立場の携帯電話機メーカーから異なるニーズが出てきた。電池の持ちや寿命を伸ばすため、携帯電話機で使用するのと同じように電気的な負荷や環境温度を模擬する装置が欲しいという。そこで、実際の使用条件をシミュレーションできる評価装置を開発し、提供先が広がった。