松平信綱の実父の墓に合葬

 大河内正敏は江戸幕府第3代将軍・徳川家光の老中を務めた松平伊豆守信綱の末裔に当たる。その墓所は松平信綱以来の菩提寺である埼玉県新座市の平林寺にある。国指定天然記念物の境内林は武蔵野の自然を擁し、訪れるとその広大さにまず感嘆させられる。

平林寺の山門。4月29日に来訪。春なのに紅葉していた。
平林寺の山門。4月29日に来訪。春なのに紅葉していた。
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 約3000坪にわたって大河内松平家歴代の重厚な五輪塔と石灯籠が整然と建ち並ぶさまは壮観である。大河内正敏の墓は末席にあるはずだと思って探したが、1時間経ってもなかなか見つからない。それもそのはずで、大河内の墓は廟所のベストスポットにある松平信綱の実父大河内久綱の墓に合葬されていたのである。五輪塔には永代供養墓「合同船」とともに「空風火水地」と刻まれている。

大河内正敏の墓。大河内家・松平家歴代の墓所の最上座にある。墓を守る2つの灯篭には、左に「株式会社科学研究所・科研化学株式会社」、右に「理研産業團」と刻まれている。
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大河内正敏の墓。大河内家・松平家歴代の墓所の最上座にある。墓を守る2つの灯篭には、左に「株式会社科学研究所・科研化学株式会社」、右に「理研産業團」と刻まれている。
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大河内正敏の墓。大河内家・松平家歴代の墓所の最上座にある。墓を守る2つの灯篭には、左に「株式会社科学研究所・科研化学株式会社」、右に「理研産業團」と刻まれている。
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大河内正敏の墓。大河内家・松平家歴代の墓所の最上座にある。墓を守る2つの灯篭には、左に「株式会社科学研究所・科研化学株式会社」、右に「理研産業團」と刻まれている。

 墓誌には「大河内正敏先生ノ御遺志ヲ汲ミ子孫代々墳螢ノ所トシテ祖先松平信綱公父君本光院殿ノ墓ヲ改造スル者也」と記されている。五輪塔の右隣に二つ並んで建っているのが松平信綱夫婦の墓である。

 大河内が理研に実現した科学者の楽園において、知の創造はどんなプロセスを経て成し遂げられたか。次回は仁科芳雄と朝永振一郎という偉大な師弟の足跡をたどりながら、それを考えよう。

(構成は、片岡 義博=フリー編集者)