予算が付いた2012年度の初めの段階でも、小惑星探査機「はやぶさ2」の開発がうまくいくかどうかは混沌としていた。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の首脳陣は、開発体制のてこ入れを決意し、同年9月に、イオンエンジンの開発と運用を担当してきた國中均・JAXA宇宙科学研究所教授をプロジェクト・マネージャーとする新体制を組んだ。そして、2015年4月、その國中教授からプロジェクト・マネージャーを引き継いだのが、後輩の津田雄一准教授である。

津田雄一・はやぶさ2プロジェクト・マネージャー
津田雄一・はやぶさ2プロジェクト・マネージャー
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内側からみた体制改革

――2012年に開発が始まると、9月にプロジェクト・マネージャーが吉川真先生から國中均先生に交代し、さらに渡邊誠一郎・名古屋大学教授のサイエンス・マネージャー就任、そして筑波宇宙センターから稲場典康さんがサブ・プロマネに入るなど、大きく体制が変化しました。実際に開発に携わる者としてどのように感じましたか。

津田 なかなかすんなりとは受け入れられなくて、正直なところ最初は混乱しました。新しく入ってきた人達は、今まで探査機開発の方向性を決めてきた人たちとは違う物の見方で違う心配をするのです。結果「ここは、なぜこうなっているのか」という指摘が一杯発生しました。
 もちろんそれは良い意見ではあるのですけれど、それまでもある割り切りをして設計を決めていたり、既に同じ懸念を検討した上で「こうしよう」と決定していたりすることも多々あって、もう一度説明をする必要がありました。特にサイエンティストの皆さんは、それぞれにこだわりがあって、「今までのサイエンスチームは、そのように考えたのだろうけれど、自分はこう考える」というようなことが次々に出て来ました。結果として様々な調整が発生して苦労しました。必ずしもそれらが全てうまくいったわけではないです。
 それでも、國中先生はこれまでもイオンエンジンでずっと「はやぶさ」、はやぶさ2と関わってきたので、過去の経緯を熟知していました。さらに稲場さんは、開発の現場を非常に尊重する方でした。ここまで進んできたものをきちんと受け止めた上で、これからどうするかを考えて実行してもらえました。ですから、結果から見ると、体制改革があったからこそうまく開発を進めることができたのだと考えています。
 それまで、私は技術を代表する者として意思決定の上流にも下流にも技術的なことを説明する立場でした、それが新体制では上への説明が必要なくなり、実際に探査機を作るに当たってメーカーなど意思決定の下流への説明に専念できるようになりました。私としては楽になったわけで(笑)、これは体制改革の効果だったと思います。